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[モーニングサテライト][東日本大震災10年]活気取り戻す閖上[名取市]

モーニングサテライト

東日本大震災から10年。

宮城県名取市の閖上地区は人口5,500人ほどでそのうちの700人以上が亡くなったとても被害の多い地区です。

被災地の中でも復興計画がなかなかまとまらず最も復興が遅い地域と言われていました。

しかしここ数年急ピッチで 復興が進み、去年いち早く復興を宣言しました。閖上が選択した新しい街作りをお伝えします。

かわまちてらす閖上

かわまちてらす閖上
かわまちてらす閖上は、水面きらめく名取川沿いにオープンした閖上のランドマークです。お友達やご家族との観光にも、ふらっと散歩の寄り道にもぴったりの“食・体験・ひととき“に出会えます。ぜひ開放感あふれるロケーションと、心地よい風を感じてください。

震災時、取材に入った閖上地区はどこが道路かもわからない瓦礫が散乱している状態でした。

10年経った今は・・・

閖上の街の入口にはスーパーマーケット。

震災直後に来たときには自分の中の色のイメージが茶色。

いま来てみるとすごく色味が増した。

その閖上地区はここ数年、商業施設や観光施設などが相次ぎ立ち上がり復興が加速しています。

そんな中、観光の目玉としてオープンしたのが「かわまちてらう閖上」。休日は仙台から車で訪れるお客様を中心に賑わっています。

こちらで食べられるのは閖上で獲れた生しらす。4年前に漁が始まった新名物です。

地元でないとなかなか食べられない。

「観光客の数は?」

魚亭 浜やの坪井裕太料理長、

働いていて、すごく忙しいと感じていた。

オープンして多くのお客様が来てびっくりしている。

3年前には避難場所も兼ねた災害公営住宅が完成。

観光の拠点となる宿泊施設や公園、閖上小中学校などの生活拠点も整備され子どもたちの笑い声も戻ってきました。

しかし、復興が一番遅いといわれていた閖上がなぜ急激に発展したのでしょうか?

名取市役所の大宮正さんは、そのキーワードに現地再建を挙げます。

現地再建のプランを出して、住民の意向を確認したのだが、いろんな意見があったので一つの結論を出すのに年数がかかった。

計画が固まってしまえばあとは工事が一気に進む。

これまで生活していた場所を離れることなく復興を進める現地再建。方針決定で町は大きく動き出しました。

震災時、8メートルを超える津波が襲った閖上。同じ規模の津波が再び来たら新しい町は防げるのでしょうか。

右手の道路から団地まで5mかさ上げしたところ。

あの辺を見るとかさ上げした上に新しい住宅地がある。

海岸には堤防を、そしてその先をかさ上げし備えることにしたのです。

津波に対する第一防御ラインは7.2メートルの堤防です。そしてその内側に5メートルのかさ上げ部分を作りました。

また海岸付近は非居住区域にして住居を内陸部に限定。市街地を集約し、町をコンパクト化しました。

「5mのかさ上げで十分か?」

10mの津波だと堤防は超えてしまう。

堤防によって津波の勢いが弱まり浸水する時間をかせぐ。

かさ上げされた部分は1m未満の津波しか来ない。

時間も稼げるので、その間に逃げれば命を守ることができる。

かさ上げしても避難行動をとらなくていいという話ではないんですね。

避難の際には車での移動を想定して信号待ちを避けた立体交差を整備しました。

海側からは高速のインターに真っ直ぐ続く道を新たに作り、渋滞が発生しづらい構造に。

車で逃げることを意識した町づくりができあがっています。

地震発生時、仙台市内で仕事をしていたという宇佐美久夫さん。

段ボールで柱を作り、その上に厚手の板を敷いて大人2人が寝られるスペースを設け、3ヶ月の避難生活を送りました。

これで3ヶ月、段ボールの柱は持ちましたからね。

人生一番夫婦ゲンカしなかったとき。

電気工事士だった宇佐美さん、仕事上車に積んでいたものが大いに役に立ったといいます。

火起こし用に木を削るための多機能ナイフ。

粘着テープは傷の応急処置を。

ロープは避難所で洗濯物を干すときに使用しました。

マニュアルに沿ってそろえるのではなくて?

マニュアルを否定するわけではないが、そこまでやると疲れちゃうから。

ある程度ものがあると、その人なりの応用はきくと思う。

震災から10年たった今、宇佐美さんは心配していることがあるといいます。

風化は自分らが風化させている。

丸の内で一生懸命やっている人は津波一つ見ていないんだから。

あの人たちは風化じゃない。自分たちが風化させている。

命を守るということは自分の責任。それがちょっと忘れられている。

閖上で生まれ育った渡辺成一さんです。地震発生時は仙台市内で仕事をしていました。

渡辺さんは趣味の写真で閖上の変化を撮影し続けています。

震災1年前の自宅。

黄色いのは水仙。私が植えるが手入れは妻。

震災2日後に戻ったときには水仙も家も消えていました。

何もなくて、まさか家の前の道路までなくなっているとは思わなかった。

閖上には津波は来ない、根拠のない安全神話を当時の住民は漠然と信じていたといいます。

だから津波がくるまで1時間6分という時間がありながら、積極的に避難するとか行動する気持ちにいかなかった。

津波で家ごと持っていかれた体験をした者からすると、まず一目散に逃げる。

いろんな形での防災グッズがあるが、それはあくまでも助かった後。

まずは自分の命を自分で助けるというのが一番頭の中に入っている。

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