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[カンブリア宮殿] 日本経済を運んで140年! 何でも届ける力を生む「段取り八分」精神

2016年3月27日

日本経済を運んで140年! 何でも届ける力を生む「段取り八分」精神

日本通運株式会社

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2015年3月期の売上高は2兆円に迫る1兆9,249円。
巨大物流会社の日本通運株式会社。

一般的には引越しでお馴染みですが、実は引越し業務はグループ売上高の3%程度しかありません。

メイン事業は大型の工業製品から生鮮加工食品など、あらゆるものの輸送です。
陸・海・空など様々な輸送手段を駆使して日本の物流を支えています。

今まで運んだものとして「風車の羽」「新幹線の車両」「美術品・仏像」「冷凍マンモス」「ロケット・人工衛星」「現金」「競走馬」「すばる望遠鏡」「東京マラソンのランナー4万人の手荷物」など多岐にわたっています。

東京都港区に本社を構え、グループ従業員は約6万9,000人。

日通体操

職種ごとに用意された日本通運株式会社のオリジナル体操。

本社の事務系の社員が行うのは日通体操第2
肩や首をほぐす体操です。

日通稲荷

本社の屋上に祀られている神社。
現場の安全を願うために本社屋上で祀られています。

渡邉健二社長

人のために人に役立つ仕事をしろというDNAがあって、どんなにデリケートなものだろうが、貴重なものだろうが運ぶものは全部運ぶ。
法的に禁じられているもの以外は運べると思っている。

600ヶ所の海外拠点

1950年代から海外拠点が出来始めた日本通運株式会社。

顧客企業が海外で物を売るとなると、そこにものを運ばなければいけません。
工場の移転など、企業がものを運ぶルートを作るために海外拠点が増えていったそうです。

何でも運び続けた140年の歴史/h2>

黒部ダム

1960年、富山県の黒部川の上流に建設された黒部ダム。
戦後の高度成長期、深刻化する電力不足打開のために始まった黒部ダム建設。

日本通運株式会社は約40万トンのセメントの運搬を行いました。
1万7,000台分のトレーラーを使用して黒部ダム建設に関わりました。

東京オリンピック

1964年の東京オリンピック。
ヨットの運搬から選手の手荷物まであらゆるものの運搬に関わってきました。

さらに走りながらマラソンコースにコーンを並べたのも日本通運株式会社なんです。

大阪万博

1970年の大阪万博。
アメリカ館に飾られた宇宙から帰ってきた本物のアポロ8号の搬入。

戦後の日本から先進国になるまでの様々な場面で日本通運株式会社は活躍していたのです。

日本通運株式会社の歴史

日本通運株式会社のルーツは江戸時代に手紙を運んだ飛脚までさかのぼります。

日本通運株式会社の創始者、佐々木荘助さんは幕末の江戸で飛脚を束ねる「飛脚問屋」を行っていました。

しかし明治維新で郵便制度が始まると飛脚は窮地に陥ります。
佐々木荘助さんは郵便制度を作った前島密さんと交渉して「手紙は政府が運び、それ以外は民間が運ぶ」という取り決めを作りました。

1872年(明治5年)に日本通運株式会社の前身となる日本初の近代的運送会社、陸運元会社を設立します。

第二次世界大戦が近づくと国の産業統制で同業他社と統合、国策会社「日本通運」が設立。

戦後に民間会社として再出発。

日通の元は本当の中小企業。地域の皆さまと密着した会社だった。何かあったら何でも手助けする。中小が統合されて日本通運株式会社という大きな会社になったがDNAはその時代から始まっていると思う。

風車の羽

宮崎県の北部の山奥。
長さ40mもある風車の羽を運ぶのが日本通運株式会社。

「風車の羽」担当の若林良平さん。
風車の羽を運んで11年目のスペシャリストです。これまでに200本近くの羽の運搬に関わっています。

風車の羽の運搬で大変なことのひとつとして長さがあります。
その長さは40m。新幹線の1両の長さが約25mですから、その長さがとんでもないことが想像できますね。

さらに風車の羽はプラスチック製。少しでもぶつけてしまうと壊れてしまします。

そして一番大変なことが山道です。
今回の風車は延岡新港から目的地の途中までは幹線道路ですのでトレーラーで運搬することができますが、山道に入ってしまうとトレーラーでは運搬ができません。

そこで登場するのが日本通運株式会社が持っている様々な機能を持った特殊車両。

荷台に積んだ風車の羽を最大55度まで立てることができます。
さらに左右に30度づつ回転することも可能。
6列に並んだタイヤは横を向くことができるので横移動が可能です。

この特殊車両によって狭く細い山道を7トンもある風車の羽を運ぶことができます。

今回の運搬は2日かかりで山頂まで運搬されました。

さらに到着後は取り付け作業も行います
日本通運株式会社は運搬だけでなく建設業の許可を取っているのです。

取り付け作業まで完了して任務終了。

「風車の羽」担当の若林良平さんは言います。

風車が1本立って形に残ると実感すると、やって良かったと達成感がある。

風車の運搬

海岸沿いなどの平地なら運搬もしやすいのですが、そういった場所は限られています。

山の上は風が強いので風車の立地としては良いのですが運搬が大変なのが実情です。
日本通運株式会社は風車を立てて運搬できる方法を生み出し山奥にも運搬できるようにしました。

日本国内のある約2,000基の風車の内、約7割の風車が日本通運株式会社が運搬した風車です。
つまり日本通運株式会社は風力発電の普及に大きく貢献している企業なんです。

これまで羽根を運べなかった所に運ぶことができるようになった。日通に運べないものはない

準備に3年半

この風車の運搬には3年半前から準備がされていました。

事前に運搬ルートをドライブレコーダに記録して特殊車両の運行状況を確認します。

交差点など特殊車両が通れなさそうな部分は歩道を工事して通れるように工事をしたりして当日に問題が起こらないように入念に準備をします。

日通商事株式会社

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荷台分が伸縮して10mから最大16mまで伸びるように作られたトレーラー。

このような特殊車両を作っているのが日通商事株式会社の東京製作所。

日本通運株式会社は特殊なものを運ぶために必要な車を独自開発しているのです。
量産のできない特殊車両だから1つ1つが手づくり。

もちろん設計も日通商事株式会社が行っています。

風車の羽を運搬する特殊車両もこの工場で設計・制作されました。

建設について

渡邉健二社長は風車の取り付けについて言います。

高いものを立てるのは一般的な建設業とは違う技術。海外でいろんなプラントをつくる現場でも工場の機械の据え付けなども、ほとんど日本通運株式会社でできる。そういう意味で建設業にも相当関わっている。

JXホールディングス

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東京の大手町にあるJXホールディングス本社。
2015年12月、この本社に勤務する2,500人が引っ越しを控えていました。

その引越しはダンボール箱3万6,000個。トラック約1,500台の引越しです。
その引越しを行うのが日本通運株式会社です。

法人引っ越し担当の高橋秀太郎さんは、社員の皆様の荷物量などをチェックしていきます。

諸先輩方が口々に言っている。事前の準備は「段取り八分」でやらないと当日慌てることになる。

段取り八分

段取り八分は仕事の8割は事前の準備によって決まる。これが日本通運株式会社の核となる言葉です。

渡邉健二社長は言います。

新しいものを新しい所に運ぶとき、新しく開拓しながらやることになる。事前の準備を大切にするようになった。

東日本大震災

日本通運株式会社は災害対策基本法の「指定公共機関」に選ばれています。
救援物資などを率先して運ぶ仕事です。

震災翌日から2ヶ月間で約7,000台のトラックが被災地にものを運びました。

「何か困ったことがあれば日通が出ていく」というのがある。運べないものがあったら、「なんとかして運んでやろう」と考える。

美術品の輸送

1964年には「ミロのビーナス」、1999年にはドラクロワの「民衆を導く自由の女神」を運搬しました。

日本通運株式会社では美術品を専門に扱う方が約600人います。

灘陀龍王立像

奈良県桜井市にある長谷寺。
1,300年前の奈良時代に創建した由緒のあるお寺です。

長谷寺にある鎌倉時代に作られた国の重要文化財「灘陀龍王立像(1316年)」を大阪で開かれる展覧会に運びます。

修復作業以外ではお寺から出たことのない仏像。
木造で突起だらけの精密な仏像を運ぶのは至難の業です。

日本通運株式会社では美術品だけを専門に扱う支店が3ヶ所あります。
そのひとつが京都市になる関西美術品支店。

そこでは仏像を運ぶための木枠作りや仏像をやさしく包む綿布団を準備しています。

綿布団には酸性でもアルカリ性でもない中性で化学変化の起きない「白薄葉紙」が使用されています。

運び出しの当日、作業を前に仏像を運び出す法要が行われます。

準備していた綿布団で仏像を包み、木枠に固定していきます。その作業だけで4時間。
空調と揺れ防止が装備された精密機械向けトラックで大阪まで運搬します。

この作業のリーダーは美術品運送のエキスパートの村松則勝さん。

無事でありますようにといつも祈るような気持ち。どういう作品でも同じ。
無事にいって当たり前。同じものがないので何十年経とうが始めて動かすものが出てくる。常に向上心を持ってやっていく。

美術品の担当者はお寺の責任者の方と常に色々と話し合いをしている。そうしないと信用してもらえない。
美術品輸送はある意味、我が社の看板、ものを動かす面白さ、楽しさ、大切さが世間の方に分かっていただければ非常に良い。

ドライバーの不足

運輸業界全体で言えば、国内海運や鉄道貨物などトラックで運ばなくても済むシステムを今一生懸命つくっている。もっと将来にわたれば自動運転だろうと思っている。少なくとも高速道路だけは自動運転で夜中の1レーンを仕切って運転手が乗らなくても隊列を組んで東京から大阪に走らせる。そういうことが大きく日本の物流を変える。

編集後記

「物流」は経済の根幹を担う。日本通運株式会社は、我が国の近代化、戦後の復興、高度成長、国際化、それらすべてを支えてきた。
巨大企業でありながら発足時、無数の運送業者が統合される際に、それらの独自性を尊重したという歴史的経緯により、硬直的なトップダウンではなく、現場スタッフに自主性が与えられ、それが強みとなっている。
1つ1つ個別の作品に寄り添うように、梱包し、運び、届けるという日本通運株式会社の美術品輸送が「モノを運ぶのは大切だが簡単でない」という原則を、象徴している。
巨大かつデリケート。

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