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[WBS][3.11 震災から10年!復興は今]原発8キロの地元人気店[株式会社マツバヤ]

2021年3月11日

ワールドビジネスサテライト(WBS)

震災の直後からテレビ東京が追い続けてきたのが福島第一原発からわずか8キロという距離の浪江町にあった地元密着型のショッピングセンターです。

今どうなっているのか10年に渡る軌跡を辿ります。

株式会社マツバヤ

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福島第一原発に近い浪江町の海岸線。更地が広がります。

震災から10年、去年3月には常磐線が全線開通。

しかし、2万人いた住民のうち震災後に地元に戻ったのはわずか1,500人ほどです。

今も浪江駅には長年地元で愛されてきた店の名前が…

サンプラザがないと寂しい。町のシンボルだった。

行けば知っている人がいる場所だった。

思い入れは浪江の人、みんなにあったと思う。

そのサンプラザがあったという場所へ。そこは空き地でした。

震災当時、総務部長だった中里範一さん。

建物は砂利のところ。

こんな感じだった。

多くのお客様で賑わっていたサンプラザ。

1979年のオープン以来、40年以上住民の生活を支えてきました。

建物がなくなってみるとサンプラザの役割は終わったように感じる。

地域の人たちにとっては楽しい場所だったと思う。

中里さんの10年間をテレビ東京のカメラが追い続けてきました。

2011年3月に発生した福島第一原発の事故。

5月、直後から避難していた中里さんたちに動きが…

許可証を確認させてください。

初めて浪江に戻ることが許されました。

すると…線量計の値は基準のおよそ70倍。

事故の影響で16万人が故郷を離れました。

サンプラザに到着。

口に入ることが一番怖い。

防護服を着て店内へ。商品はすべて放射能で汚染され回収できません。

視察後、サンプラザの社員総会が開かれました。

マツバヤ(「サンプラザ」運営会社)の松原茂社長、

原子力発電から20~30キロ圏は我々の商圏だった。

残念ながらそのままの形で復興はできない。

200人の従業員も全員が被災。従業員のことを思うと状況は絶望的でした。

先の見えない避難生活が始まりました。

1年後。

浪江の被災者が多く入居する仮設住宅に中里さんの姿が。

お久しぶりです。

しばらくお店開かないじゃない。

その案内に来ました。

避難先で新たな店舗の営業準備を進めていたのです。

そこは浪江から東に50キロの田村市。

ショッピングセンターの一部を借りて営業を再開します。

避難所に暮らす浪江住民のために送迎バスを手配。

ただいま開店いたします。

店には久々の笑顔が溢れていました。

しかし、震災から10年。従業員も常連客も散り散りになり店を訪れるのは近隣住民のみに。

10年間で仮設住宅がほぼなくなり復興公営住宅という形になった。

地元に近いところに住みたい人がどんどん分散した。

福島県南相馬市。

復興公営住宅の目の前に3年前、新たなサンプラザができました。決め手は浪江町から近いこと。

実はここがサンプラザとして今も残る2店舗目。

お客様は浪江のサンプラザを知るかつての常連客です。

家が流されて復興公営住宅に入っている。

10年経ったからね。

あの当時は本当に毎日が涙。

きれいなものがいっぱいあるから店にいてほしい。

避難解除になった時に一番先に戻った。

地元はいい、やっぱり。今は寂しいけど。

二人で生活してるけど。

どこまで生きられるかわからないが頑張っている。

原発事故で全てが変わった10年を振り返り…

たちまちの10年だったような気もするし、前からこんな状態だった気もする。

求めものがまだ何かわからないが、自分の人生の中の長い時間をこの場所で過ごしてきていたので。

ここに住めなくてもいい。

帰ってこられる場所であれば。

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