1970年代から1980年代に作られたラジカセです。実は今こうしたラジカセを修理するなどして再び使いたいという人たちが増えています。
今どうして昭和のラジカセが人気なのか、そしてその裏で注目を集める壊れたラジカセを蘇らせる職人を取材しました。
デザインアンダーグラウンド
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東京・足立区の商店街を歩く男性。
ラジカセの再生を手掛けるデザインアンダーグラウンドの松崎順一さんです。
電気屋の看板があれば全部取りあえず当たってみる。
訪れたのは町の電気店「電化のイシヅカ」。
ラジカセやカセットテープを探していて。
すると…
これが一番古い。
店の奥からラジカセが出てきました。
ホコリだらけだけど。
このホコリが時代を感じさせてくれる。
1982年に発売されたナショナルのラジカセ「RX-C60 THE3d」です。
今回譲っていただけたら。
結構ですよ。
今回は好意で無償で譲ってもらいました。
全国をめぐり70~80年代の国産ラジカセを集めている松崎さん。
これまで回収したラジカセは1万台に及びます。
東京・渋谷の東急ハンズ渋谷店。
店内の一画を借りて松崎さんは集めたラジカセを修理し、販売しています。
価格は3万円から7万円台。
こちらはパイオニアが1976年に発売したラジカセ「RK-888」です。
上はアルミ、金属で高級感を演出している。
これはレバー式。
当時、メーカー各社はデザインと性能を競い合い、個性的な製品を次々に生み出したのです。
広告には当時人気の芸能人を起用していました。
そしてメイドインジャパンのラジカセは海を渡りアメリカへ…
ディスコに行けない貧しい若者たちがストリートで踊るために使ったのが日本のラジカセ。これがヒップホップミュージックを生み出すきっかけとなったのです。
数年前からカセットテープの人気が復活したことで若者たちの注目がラジカセに集まっています。
ずっと1台欲しかった。スタイルが良くて格好いい。
当時すごいものがあったと次の世代に伝えていきたい。
そんな松崎さんの思いは実を結び始めています。
中古のラジカセを修復する活動が広がっているのです。
アトリエ4Rの大島さん。
電源は入るけれど何の音も出ない。
大島さんはラジカセの修理職人。
コロナの巣ごもりもあって自宅に眠っていたラジカセの修理を依頼する人が増えています。
こういう半導体の生産は何十年も前に終わっている。
当時のラジカセの部品はすべてメイドインジャパンでした。今では修理するのに中国や東南アジアなどの部品に頼らざるを得ないのが現状です。
しかし、部品さえそろえば大抵のラジカセは直せると大島さんはいいます。
40年ぶりに音が出た。
壊れたら直すことを前提につくられている。
つくりがしっかりしているから直せる。
2年前から昭和のラジカセを集めている50代の男性。
お気に入りは父親が愛用していたというソニーのラジカセです。修理に2万円かけました。
スタイリッシュじゃない?
VUメーター。
これを見るだけで小さい頃は幸せだった。
機械仕掛けのアナログ感に魅了されているといいます。
今はデザインに金をかけていないと思う。
当時はチャレンジをしていた。デザインにしても。
それなりの哲学を持ってやっている人がデザインしたと思う。
当時のラジカセにはなぜか愛着が湧いてくるデザイン性があったといいます。
松崎さんは日本のものづくりの最盛期に作られたラジカセに今後家電メーカーがヒット商品を生み出すヒントがあると考えています。
今、家電業界で失ってしまったものが凝縮されているのが"昭和のラジカセ"。
「これを毎日眺めて使いながら暮らしたい」、そういう家電ができれば日本独自のオリジナリティーになる。