ブラックサンダー
二十歳のイチロー選手が200本安打を放ちスターになった1994年。
この年に生まれたお菓子のスターがあります。それが「ブラックサンダー」、1本30円。
年間3億個売るチョコレートバーです。
安倍晋三総理もファンの一人。
安倍晋三総理の大好物、そして体操の内村航平選手まで。
有楽製菓株式会社マーケティング部、伊藤大介課長は、
まさかここまでなるというのはゆめゆめ想像していなかった。
大ヒットしたチョコの中には甘いだけではないストーリーが詰まっていました。
有楽製菓株式会社
ブラックサンダーを作っているのは有楽製菓株式会社。
豊橋夢工場を覗くとまずは中の生地作り。機械に投入しているのは荒く砕いたココアクッキーです。さらに極小のビスケット。
この2つとチョコを混ぜて生地ができます。粒は大きいままです。
これにチョコをたっぷりかけます。
しかし、その後にご注目。風で余分なチョコを飛ばしていました。
マーケティング部の牧宏郎さんは、
ビスケットの食感が残るような配合なので、食感を残すためにかなりチョコを飛ばしている。
こうして他にはないザクザクとした食感のチョコバーが出来上がります。
この工場では年間1億2,000万個を生産しています。
ブラックサンダーの秘密
1955年の創業以来、駄菓子を作ってきた有楽製菓株式会社。
以前の主力だったチョコバーが「チョコナッツスリー」。生地はコーンで作ったパフ。サクサクとした軽い食感が売りでした。
もっと「食べ応え」のある商品を出せないか、そこで目をつけたのが当時、世界的に大ヒットをしていたココアクッキーです。
食べ応えを出すためにビスケットと合わせることを思いつきます。
こうして生まれたのが「ブラックサンダー」。
ブラックはココアクッキーの色、サンダーは戦隊モノのイメージ。子供をターゲットにしましたが売れませんでした。
伊藤大介課長は、
あまりにも生産ラインが稼働しないので「やめてしまおうか」ということをよく繰り返した。
転機は10年後の2,000年代前半。マーケティングに力を入れてみると実は子供よりも大学生などの若者に受けていることが判明。
そこで大学の生協に狙いを絞って売り込みました。
すると、
口コミで「こんな商品あるんだ」と徐々に広まっていった。メールなどで伝わるスピードが上がり一気に売り上げや認知度が上がった。
さらに商品のバリエーションを増やしました。
「きなこ味」や「レモン味」、果てはホワイトチョコの「白いブラックサンダー」まで登場。
これも口コミやネットを中心に話題を呼び全国のコンビニも扱うようになりました。
直売所
豊橋夢工場内にある直売所。
買っているのは昔の若者、働くお父さんたち。20個入りの箱を大人買いしていきます。
出張が多いので持って行って移動中に食べたり。
仕事で疲れてへとへとになった時はこれを食べれば疲れが取れる。
いまや幅広い層に愛されるお菓子となったブラックサンダー。
ロングセラーの極意とは、
口コミで広げてくれる消費者を熱狂的な気持ちにさせる。
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