今日は「公衆電話の日」です。
1900年9月11日、日本初の自動公衆電話が、東京の新橋と上野駅前に設置されました。
当時は「自動電話」と呼ばれていて、交換手を呼びだしてからお金を入れて相手に繋いでもらうものでした。
1925年、ダイヤル式で交換手を必要としない電話が登場してから「公衆電話」と呼ばれるようになりました。
連絡手段
わたしは今年で38歳になります。
携帯電話が普及される時代を学生、社会人として見てきました。
今はスマートフォン、電話でもLINEでも連絡が取れるようになり本当にありがたい時代になったと感謝しています。
ポケットベル
わたしが高校生の頃は友人たちと連絡をとりあう手段はポケットベル。
今の高校生のフリック入力に負けないそう早さで公衆電話のボタンを押していました。
今の学生には信じられないでしょうが、休み時間などに学校に1台しかない公衆電話にみんなが列を作って並んでいました。
一番最初に持ったポケットベルは数字しか表示されないもの。数字を組み合わせてメッセージを送ります。例えば「39」でサンキューとかです。
それが進化を遂げて、カタカナが表示されるようになりました。もう画期的な出来事でした。
想いが簡単に伝えられるようになりました。
でも打ち間違えると、解読する必要がありました。当時の高校生は打ち間違えても簡単に解読できていました。
PHS
高校3年生の時に初めて携帯電話らしきものを持ち始めました。
それがPHSでした。見た目は今で言うガラケーのさらにしょぼい感じです。
肩からぶら下げたりはしません。ポケットに入る程度の大きさです。
それまでのポケットベルと比べると、一気に進化しました。
どこにいても電話ができるのです。当時はPHSから友人のポケットベルにメッセージを送っていました。
まだまだ主流はポケットベルの時代。PHSを持っている子は少ない時代でした。
でも通話代は頑張ってバイトをしている子だったら支払える金額でした。クラスに数人が持っているような品物でした。
i-mode
20歳頃に登場したi-mode。
この頃には、みんながPHSか携帯電話を持っていました。
連絡手段は主に電話になっていた頃です。
電話をかけても出ない場合は連絡がつかない時代でした。なのでポケットベルと併用している子もまだいました。
ですがi-modeの普及で携帯電話にメールが送れるようになったのです。
一気に携帯電話代が高くなった時代です。
毎月、2~3万円の携帯電話代を支払っていました。
今考えると恐ろしい時代です。
iPhone
わたしが「iPhone」を初めて持ったのは「iPhone 3」からでした。
始めてのスマートフォン。
時代の変化の凄さを本当に感じる電話でした。
誰かに連絡を取る手段、たかだか20年ほどで本当に大きく変化しました。
ポケットベルからPHS、携帯電話からi-mode、そしてスマートフォン。
10年後、20年後と時代が過ぎれば、「スマートフォンなんてモノを使っていた時代もあったよね」という日も来るんでしょうね。
その時には、どんな通信手段を使っているのか、未来は楽しみがいっぱいです。
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