今日は「海外移住の日」です。
50年前の1966年に国際協力事業団が制定しました。
JICA - 国際協力機構独立行政法人国際協力機構は技術協力、有償資金協力(円借款)、無償資金協力の援助手法を一元的に担う、総合的な政府開発援助(ODA)の実施機関です。
1908年6月18日、本格的な海外移住の第一陣781人を乗せた笠戸丸が、ブラジルのサントス港に到着したことを記念しています。
笠戸丸
笠戸丸は、明治時代後期から終戦にかけて移民船や漁業工船などに使われた鋼製貨客船です。
笠戸丸は6000総トンで平均速度約10ノット。
船足は遅いが長距離航行に優れており、明治時代後期から昭和初期にかけて、外国航路や内台航路用の船舶として用いられました。
ハワイやブラジルへ移民が開始された時に移民船として使われたことでもよく知られています。
その後漁業工船に改造され、漁業会社を転々とします。
最後は、貨客船として最初に籍を置いた国であるロシア帝国の事実上の後継国にあたるソ連の手によって、太平洋戦争終結直前カムチャツカ沖で爆沈されるといった数奇な運命を辿りました。
笠戸丸の歴史
- 1900年
- イギリスの造船会社で建造・竣工され、ポトシとして命名され、のちにロシアの船会社で貨客船カザン号として使用されます。
- 1905年
- 日露戦争中、旅順港内で被弾し沈座していたのを日本海軍が浮揚し捕獲。日本海軍に移籍し「笠戸丸」と改名します。
- 1906年
- 海軍省より東洋汽船が運航委託を受け、ハワイへ移民646名を運びます。
- 1908年
- 皇国殖民会社の依頼によりブラジルへ第一回移民781名を運ぶため、サントス港に向け神戸港を出航。
- 1910年
- 大阪商船が内台航路に使用するため傭船されます。
- 1912年
- 海軍省から大阪商船に払い下げになり同社の南米航路に使用されます。
- 1930年
- 大阪商船から個人に売却され、いわし工船に改造。
- 1931年
- 東洋工業に売却されます。
- 1932年
- フィッシュ・ミール工船に改造。
- 1934年
- 新興水産に売却され、後に太平洋漁業に移籍します。
- 1939年
- 日本水産に移籍、後に日本海洋漁業の所有となります。
- 1945年
- ソ連軍により捕獲、乗組員を下船させ、数名の病人をのせたまま爆破。戦争後も乗組員はシベリア抑留となりました。
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