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[WBS] 山一証券破綻から20年!号泣社長と解雇社員の今![山一證券株式会社]

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11月24日で経営破綻から20年になる山一証券のその後について。

一時期は証券業界トップでもあった山一証券は企業向けの事業に強く「法人の山一」と呼ばれていました。

それだけではなく社員たちの結束が固いという評判から「人の山一」とも呼ばれていました。

「社員は悪くありません」と社長が涙ながらに訴えた姿が今も記憶に残っている人も多いと思います。

あれから20年。

山一証券の最後の社長なった野澤正平さん、そして再び動き出した元山一証券の社員たちの今を追いました。

山一証券破綻から20年

号泣社長と解雇社員の今

先週末、都内である集まりが開かれていました。

どこのおじさんかと思った。

「何年ぶりに合う?」

彼は20年ぶり。

20年ぶりの再会。この日集まった約40人は元同僚です。

これは20年前の日経新聞。これが僕たちの始まり。

確かに22日、衝撃だった。

20年前の朝刊。「山一証券 自主廃業へ」。

当時の記憶が蘇ります。

1997年11月24日、野澤社長(当時)、

私らが悪いんであって社員は悪くありませんから。どうか社員の皆さんを応援してやってください。お願いします。

1人でも2人でも皆さんが力を貸していただいて再就職できるように、この場を借りて私からもお願いします。

山一証券は違法な利回り保証をして株を売りまくっていました。

しかし、バブル崩壊で株価が急落。

損失の発覚を恐れた山一証券は決算期が違う複数のペーパーカンパニーを設立。

決算が近づくたびに株をたらい回す「飛ばし」という手法で損失を隠し続けました。

しかし、株価の下落は止まらず損失はさらに拡大。

追い込まれた山一証券はついに経営破綻。

社員約1万人が解雇されました。

創業100年の節目にその幕を下ろしました。

拳を握り社歌を熱唱するのは永野修身さん(59歳)。

山一証券時代の永野さんはテレビでトップ営業マンとして紹介される凄腕でした。

もっと早めにオープンにしていたら山一も解決できた。優秀な人がいっぱいいたので。

そう振り返る永野さんは2003年に金融業界に特化した人材会社、マーキュリースタッフィングを立ち上げました。

社員の中にはこんな人もいます。

お父さんが山一の後輩。

お父さんもお母さんも元山一。

元山一証券の社員の2世も働いていました。

この会社は元山一証券の社員、数百人の再就職を斡旋してきたといいます。

この日、訪ねてきたもの元山一証券の社員。現在50歳の男性は山一証券が破綻後、転職を4回繰り返して今は無職です。

前は金融にいたんだよね、山一の後。

保険会社で勤務していました。

保険は合わない?

少し違和感もありまして。

今も元山一証券の社員の駆け込み寺となっています。

年も年なので、なかなか書類審査も通らない。永野先輩の力を借りてよい働き先をと。

マーキュリースタッフィングの社外取締役が…

おはようございます。

山一証券最後の社長、野澤正平さん(79歳)です。

「どんな20年だった?」

あっという間の20年だった。

振り返ってみると、あの涙の会見を悪くいう人も良くいう人もいるが私はあれは自分でも恥ずかしくない。あの涙には2つあって、7割が社員の事で頭がいっぱい、3割は社長になって頑張ったけれど駄目だったと悔し涙。

「人の山一」を率いてきた野澤さん、今も信じていることが、

会社って誰のものだといまたに言い続けている。「株主のものだ」と必ず言うから「ばかたれ」と、会社は皆さんものだ。

会社が生きているときは社員が財産。

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