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[WBS][震災10年に思う]放射線測定続ける理由[小豆川勝見さん]

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シリーズ「震災10年に思う」。

事故が起きた福島第一原発周辺の一部地域ではいまも放射線量が高く、帰還困難区域として立ち入りが制限されています。

今回はこの10年、放射線量の計測を続けてきた研究者、小豆川勝見さんです。

小豆川勝見さん

[blogcard url="https://www.c.u-tokyo.ac.jp/"]

東京大学環境分析化学研究室の小豆川勝見助教、

東京大学の小豆川です。いま私がいるのは大熊町の帰還困難区域。

いま空間線量率10マイクロシーベルト。

防護服を着て放射線量を測っているこちらの男性、福島で10年間放射線量の測定を続けている小豆川勝見助教です。

小豆川さんにとって東日本大震災は研究者人生の大きな転機となったといいます。

原発はそうやすやすと壊れてなるものかと私は信じていた。

けれど2011年3月のあの震災によってまったく間違いであったことを認識し直した。

そういう思いをしたならば、かつ放射線を測ることができるならば飛び散ってしまった放射線物質の値をしっかりと測って知らせなければいけないと思って震災から10年間、この測定を続けている。

10年経った今でも多いときで月に数回、現地に足を運びます。

事故から10年、被災地はどう変わったのでしょうか。

原子炉の周りの土地、いわゆる帰還困難区域は除染を薦めて多くの方が帰れる環境の用意が進められている。

おそらくこの3月にも避難指示が一部緩和されるところも出てくるので昔住んでいた人がある程度立ち入りできる空間が増えてくると思う。

大熊町の放射線量は震災直後と比べると現在は25分の1以下に下がった地点もあります。それでも東京の値のおよそ100倍です。

10年間、測定を続けるのは簡単ではありませんでした。

正直、何度も心は折れかけている。

とある畑で放射線量を測らせてもらったときには「俺の畑が汚いというのか」とすごまれたこともある。

僕はそういったことをしたいのではなくて、放射線物質がどれだけ散ったのか正確に評価しないといけないんだと言ったが、ふたっと東京からきた人が測っていって「何ベクレルです」ということに対して反感を覚える人がいるのも気持ちでは理解できる。

家は被害があり壊してしまうけれど、思い出があるので土足で入らないでと言われたときに、この災害の理不尽さ、その人の苦悩を考えると涙なしでは研究できない。

本当に泣きながら測定を続けていた。

震災から10年という節目でいま思うことは。

残念ながら放射線物質に関しては10年というのは始まったばかり。

やはり後世の人から怒られないようにきちんと今この10年も放射線物質を効率よく回収する技術を作っていく必要がある。

加速させることで少しでも早くそこの場(=放射線物質で汚染された地域)をきれいに、元の状態にもっていくことをしなければいけない。

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