2月末、東京23区で最も古い140年の歴史を持つ酒蔵が廃業しました。
その一方で東京・港区のビルの谷間で酒造りをしようという新たな試みが始まっています。
そこで使うのは東京の水道水なんです。
既成概念を覆す挑戦を追いました。
株式会社わかさ冨士
福井県小浜市、ここに住む平井照巳さんにかつての職場を案内してもらいました。
「わかさ冨士」という酒造会社があった。
平井さんの職場だった酒造会社は今は更地になっていました。
創業1862年、150年以上の歴史を持つ老舗、わかさ冨士。
地酒「わかさ」は地元に愛されていたといいます。
しかし消費が落ち込み、売上げは低迷、製造コストとの採算が合わず2017年3月に廃業となりました。
日本酒の酒蔵は1970年には全国に約3,500ヶ所あったのが、今やその半分以下の約1,600ヶ所に減少しています。
現在、地酒「わかさ」は2017年4月から営業を開始した新会社小浜酒造が引き継いで製造。
平井さんも今はここで働いています。
日本酒の製造条件
日本酒を作るにはいくつかの条件があります。
まずは広い敷地、酒造りはさまざまな工程があるためです。
また水も大量に使いますが、多くの酒蔵が地下水を汲み上げたり、川からタンクで運んだりしています。
この冬から始まった酒造り、新会社の高岡明輝代表も危機感を感じています。
厳しい状況だと思う。酒造りそのものがひとつの伝統工芸ではあるが、蔵元や杜氏は勘とかしきたりにとらわれやすい。新しい価値を見いだしていった方がいい。
東京港醸造
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そんな中、オフィスビルやマンションが立ち並ぶ東京・港区。
そのビルの谷間で酒造りを始めた会社がありました。
訪ねてみると、そこは4階建てのビル。
東京・港区にある、その名も「東京港醸造」です。
2年前の2016年に清酒の製造を開始。初めての試飲会には多くの日本酒ファンが集まりました。
東京港醸造で作るのは「江戸開城(四合瓶 2,160円)」。スッキリとした飲みくちで味わいがあるのが特徴だといいます。
社長の齊藤俊一さん、額縁に入った書を見せてくれました。
これは西郷隆盛が飲み代の代わりに残していったものだといわれています。
人 皆 炎熱に苦しむ 我 夏の日の長きを愛す
暑苦しい夏場でも日が長くなり好きだという意味だそうです。
元々、江戸時代から酒蔵をしていましたが明治時代に廃業。
新たな東京名物を作りたいと復活させたのです。
酒ができたら地域の活性化になると思った。でも実際、地方の酒蔵はすごい敷地で大量に酒を造る。資本力もないときでない。うちでは到底無理だなと思った。
そこで齊藤社長がスカウトしたのが杜氏の寺澤善実さんです。
寺澤善実さん
寺澤さんは元々大手酒造会社黄桜に勤務。酒造りのプロフェッショナルです。
元々住居だったので工場に変えるには各階の作業環境も大事。こだわって設計した。
寺澤さんは4階建てのビルで日本酒を作る方法を考えました。
まずは最上階の4階で酒米を洗い、それを蒸します。その蒸した米を穴に入れ、水や麹と合わせる仕込み作業をする3階に落としました。
工場に変える時に重力を利用して、ものを動かそうというのは最初から考えていた。
各フロアの天井と床に穴を開け、そこからホースを使って次の工程に移しているのです。
日本酒造りに必要な広い敷地が確保できないことをビルを上から下に使うことでカバーしていました。
水道水
そして、米と麹と水を合わせる仕込み作業。
その水はというと、
東京の水道水です。
「水道水で見本酒を造れるのか?」
水道水には酒造適性があり、東京の水は優しい酒に仕上がる。
東京の水道水は中硬水、これは京都・伏見の地下水と同じくソフトな味わいの酒を造るのに適しているそうです。
こうしてできた酒は最後に1階へ。
ビルの特性を活かし、また身近な東京の水道水を生かして酒造りをしていました。
立ち飲み屋
さらに寺澤さんは一般の酒蔵ではしていない取り組みも行っています。
平日の夜限定で酒蔵の前で日本酒の立ち飲み屋を開いているのです。
ここでは江戸開城の他にも全国の銘酒を取り寄せ出しています。
ここの屋台は私が造った酒だけでなく、他の酒も味わっていただける。今話題の酒と比べて自分の酒の位置を皆さんの反応を見ながら勉強している。
「実はこのビルの中で日本酒を造っている。」
びっくりし過ぎて言葉が出ない。
寺澤さん、これからの杜氏は蔵にこもってばかりではいけないと考えています。
新しい酒
3月1日、東京港醸造。
寺澤さんはお客様の意見を反映させた新しい酒を造り始めていました。
ビルの谷間の酒造り、新たな可能性を秘めています。