ソニーの社長と会長を10年にわたって務めた出井伸之氏が2日に亡くなりました。84歳でした。
出井氏はいち早くインターネットの可能性に着目し、事業のデジタル化を推し進めることで現在のソニーの礎を築きました。
ソニー出井元会長死去!事業を大きく変革
1995年。
ソニー
出井伸之常務(当時)

今紹介いただいた出井。
1995年に57歳でソニーの社長に就任した出井氏。
ペットロボットの「アイボ」や「プレイステーション2」などを市場に投入し、エレクトロニクス以外の分野を大きく成長させました。
またインターネットサービスプロバイダー事業を始めて、ネット専業のソニー銀行を設立したりとインターネット関連事業にいち早く力を入れました。
その一方でブラウン管テレビから薄型テレビへの切り替えに乗り遅れたことが響き、2003年1月から3月の決算では1,000億円を超える赤字になりました。株価は2日連続でストップ安に。株式市場では「ソニーショック」と呼ばれました。
出井氏はソニーの復活を目指し、新たな商品開発を進めます。
2003年。
ソニー
出井伸之会長(当時)

売り上げと利益を安定的に出すことを求められるわけだから、だんだん守りに回ってくる。
ソニーがもう一度、本当に技術を生かした商品を作ってみる。
そこから何か生まれるか、チャレンジでもある。
改革を進めていた最中でしたが、2005年に業績不振の責任を問われ退任することになったのです。
当時、出井氏が種をまいた金融やゲーム分野は今では大きく成長。エレクトロニクス中心だったソニーの事業内容は大きな変貌を遂げています。
今年は過去最高となる営業利益1兆2,000億円を記録したソニー。
かつて社長室長として出井氏に仕え、現在のソニーを率いる吉田社長は…
ソニー
吉田社長(書面)

出井さんはグローバル企業としての成長に多大なる貢献をした。
特にインターネットがもたらすインパクトにいち早く予見し、ソニーにおけるデジタル化を積極的に推進したその先見性には今でも驚かされる。
ソニーの経営を退いた後、出井氏は若手起業家の育成に取り組みました。
2006年にベンチャー企業などを支援する企業「クオンタムリープ」を起業。
ソニー
出井伸之元会長

ものづくりは成長資金がいつもいるから誰かいいアドバイザーを入れよう。
ソニー時代に培った経営手腕や人脈を活かし、若手起業家たちを多く育てました。
ソニー
出井伸之元会長

息子みたい。
僕もソニーの時は売り上げ100億円の時に入って900倍に伸びた。
する苦労は全部している。
こうした新しいビジネスを育てることはソニー時代から続けてきたことでもあります。
1999年、当時ソニーの社長だった出井氏が折半で出資して設立したのがネット証券会社のマネックス。当時まだ日本ではネット金融は一般的ではありませんでした。
ソニー
出井伸之社長(当時)

ネットワークビジネスの発展に対してソニーが対応しようという姿勢をはっきりした。
アメリカでもヨーロッパでもビジネスをしている方々でいろいろなことが起こっているから、それを一つにまとめて全体の思想を統一してインターネットの成長にビジネスを一つ合わせていきたい。
マネックスはソニーのバックアップもあり事業を軌道に乗せ、その後ネット証券大手に成長しました。
若手起業家とも多く交流し、さまざまな起業を育ててきた出井氏。
生前、出井氏とともに企業の社外取締役を務め、公私ともに交流があった森川亮氏は…
C Channel
森川亮社長

本当に最先端の技術をずっと追いかけてきた印象。
出井さん自身は積極的に若い人と関わりを持って応援していたので、そういう意味では道半ばの部分もあったのでは。
日本の起業家育成に尽力してきた出井氏、去年WBSに出演した時にはコロナ後の日本企業に警鐘を鳴らしていました。
ソニー
出井伸之元会長

社長になった1995年にデジタルに変わってきた時に「隕石が落っこちてきた、だから変わんなきゃいけない」と言った。
「変わんない企業は死んじゃうぞ」と言った。
もしかしたらコロナが第2の隕石かもしれない。
早く変わらなきゃいけない。