シリーズでお伝えしている「震災10年に思う」です。
今回は岩手県の海沿いを走り、震災後は復興のシンボルにもなった三陸鉄道の中村一郎社長です。

三陸鉄道株式会社
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岩手県の沿岸を走る三陸鉄道。

10年前の3月11日、押し寄せた津波で線路も駅舎も流されました。

三陸鉄道の中村一郎社長、
電気も復旧していないタイミングだったが、被災した皆さんのために一日も早く動かせるところから列車を動かそうという号令の下、少しずつ被害の少ないところを運行再開した。

三陸鉄道が動いたことで日常の生活物資を買い出しで使う地元の皆さんが多かった。

震災のわずか5日後に一部の運行を再開。被災者の足として、また心の支えとして三陸鉄道が復興へのシンボルとなりました。

当時、中村さんは岩手県の職員でした。交通担当として三陸鉄道の全面復旧に向けさまざまな交渉に当たりました。

三陸鉄道には北と南の2つの路線があり、その間をJRが結んでいましたが、JRの計画は鉄道ではなくバス路線に変更するというものでした。

岩手として宮古-釜石間は鉄道復旧しかあり得ないと強く伝えた。

単に移動手段として考えるならバスの方が費用がかからないし合理的。

切り替わった途端「三陸のバスに乗りに行こう」とはおそらく考えないと思う。

三陸鉄道そのものが一つの観光資源みたいな存在。

地域の将来を考えた中村さんらの強い思いが実り、JR区間の復旧が決定。路線は三陸鉄道に移管されました。

震災から5年後の2016年に中村さんは三陸鉄道の社長に就任。
震災を学ぶ学習列車を運行するなど県外から乗客を呼び込むための工夫を継続しました。

2019年には旧JR区間も含めた全線が開通し、第三セクターとして日本最長の鉄道に。乗客数の増加につながりました。

今後、さらに乗客数を増やすのが課題です。
新型コロナの影響が全国的に出て、観光客含めお客様が激減している。

経営的に大変厳しい。

物理的に震災や台風で線路がズタズタに切られた。

それが皆さんの力をもらいレールが1本につながった。

つながった三陸鉄道は人と人を、地域と地域をつなげる役割。

そういう役割をわれわれ鉄道会社が果たしていく。
