陸上男子100メートル、このオリンピックの花ともいえる競技の直前、競技場を彩ったのがコースに映し出されたプロジェクションマッピングです。
五輪のマークや選手の顔が映し出されました。
競技の盛り上げに一役買った光の演出ですが、実はその裏には日本メーカーの技術力がありました。
パナソニック株式会社
[blogcard url="https://panasonic.jp/"]
開会式の1ヵ月半前、国立競技場に搬入される巨大な装置。
大会を光で演出するプロジェクターです。
開発したのはパナソニック。
これで大体センターになっている。
現場で調整を進めていたのが担当の山本淳さんです。
実はパナソニックのプロジェクターは2016年以降、リオオリンピックや冬の平昌オリンピックでも使われています。
今回、このプロジェクターの開発拠点にテレビ東京のカメラが入りました。
100メートル離れた所から横幅70メートルくらいのサイズを投写できる。
購入する場合は1台4,000万円以上もするというこの装置。今回は会場の4方向に60台設置しました。
特に力を入れたのが…
ジャパンレッドということで赤色の表現にこだわった。
赤色のレーザーは温度管理が難しく、これまでの機種に使うのは難しかった。
3年前の平昌オリンピックで使われた機材と比べてみると赤の鮮やかさは一目瞭然。ほぼ同じ大きさで2倍の明るさを実現しました。
こうして開発されたプロジェクター。開会式の2日前に行われたリハーサルでは開会式のプログラムを映し出しながら60台を数センチ単位で調整していきます。
そして迎えた開会式本番。
プロジェクター全てを一括で管理するコントロールルームにも緊張が走ります。
赤い光があらわれました。
山本さんたちがこだわった鮮やかな赤い光。体の中の神経や筋肉を表現し、コロナ禍のアスリートたちの心の葛藤を全世界に届けました。
心配はあったが進むにつれて感慨深いものが湧いてきて終わってから非常に感動した。
テレビを見た人にもきれいな映像を見てもらえたのでは。
4時間に渡って続いたこの開会式。そのクライマックスが聖火台への点火です。
実はここにも日本の技術力が隠されていました。
デザインしたのは佐藤オオキさん。
ローソンのプライベートブランドのパッケージからフランスの高速鉄道車両まで世界で活躍するデザイナーです。
聖火台のデザインは実はもともと85の案があったといいます。
今回特別に案の一部を見せてもらうことができました。
こっちはボツ案。検討しているなかで作ったもの。
平面の組み合わせの中に太陽のような形が浮かぶ案やオリンピックのロゴのような市松模様の案もありますがいずれもかなり複雑な形です。
こうした佐藤さんのデザインを支えたのが日本のお家芸、自動車の製造技術。
サポートしたのがトヨタの小島康一さんです。
「どれが作れそうですか」と質問もらって「どれも厳しい」と思った。
今回の直径2.4mの球体型の聖火台は1枚40kgのパネルが10枚組み合わさっています。
動く際にすき間はわずか3ミリ程度になる場所もあるため、極めて高い精度が求められます。
球体を完璧に仕上げるのはかなりの精度がいる。車のボンネットとかボディーはプレス機で作る。
車の技術を集約して作っている。
ヨーロッパのいろいろな企業と仕事をしてきたが、これはさすがに日本じゃないとできない。
さらにデザインの過程でもう一つ大きな課題となったのが聖火の燃料です。
その燃料を提供しているのが石油元売り最大手のエネオス。
エネオスは1964年の東京オリンピックでも聖火の燃料を提供。
その際に提供したのが化石燃料であるLPガスです。
そして…
増田洋一記者。
この東京オリンピックでは史上初めて水素を燃料として供給しています。
二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーとして史上初めて水素を聖火の燃料に採用。
福島の浪江町で太陽光発電による電力によって作られた水素が使われています。
さらに聖火だけでなく、大会車両には水素で動く燃料電池車「MIRAI」が使われるなど東京オリンピックは二酸化炭素排出量実質ゼロを目指した大会です。
エネオスの水素事業推進部長、塩田智夫さん。
大会の燃料が水素に変わったことは世界的に脱炭素化の潮流が鮮明になっていて、次世代エネルギーに転換する必要性を示す大きなメッセージだったと思う。
しかし、この水素はデザインにとっては難題に。
水素が燃焼すると無色透明で見ることができない。
「炎のデザイン」が私自身も初めて。チームとしても初めてで難易度が高かった。
そこで利用されたのが花火などで利用される炎色反応です。
2年前、試作段階の聖火台の前に佐藤さんとトヨタの小島さんの姿がありました。
バーナーの付近に黄色い炎色反応を起こす炭酸ナトリウム水溶液を噴霧することで自然な炎を演出しました。
もうちょっと赤みが加わると理想。
その後も水溶液の量や向きを繰り返し検討し、炎のデザインが決まっていったといいます。
プロジェクトのスタートは2016年、コロナによる延期の期間も含むとおよそ5年の水素聖火の開発プロジェクトでした。
世の中の空気的にも受け入れられているかわからない状況で、自分自身も心が折れるではないが、気持ちに迷いが出た瞬間は少なからずあった。
小島さんはじめ一心不乱に夢中にモノづくりをしている姿を見て自分が一番支えられた。