東日本大震災から3月11日で10年を迎えるのを前にWBSでは今回から4夜連続で震災特別企画をお伝えします。

こちらにあるのはテレビ東京に実際に備蓄されているいわゆる非常食です。

今回はこの非常食に革新を起こして全国から注目を集めるベンチャー企業の挑戦を取材しました。

株式会社ワンテーブル
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宮城県との県境に近い福島県国見町。

東日本大震災から10年、国見町の小学校では防災教育の一環としてある食品が初めて配られました。

おいしい。

「どんな味がするか?」
リンゴジュースの味。

普通のゼリーみたい。

配られたのは非常時用の食料となる防災ゼリー「ライフストック」。

水分とカロリーを同時に摂取できる非常食です。

5年間の常温保存が可能で街は去年、備蓄用食料に採用しました。

このゼリーを作ったのが宮城県多賀城市にあるワンテーブルというベンチャー企業、

社長の島田昌幸さん(38歳)。

開発には7年もの歳月がかかりました。

5年間持たせることは当時は相当無謀な挑戦と言われたけど、本当に万能な商品を作りたいという思いがずっとあった。

一体どのように長期保存を可能にしたのでしょうか。
工場で使われているパッキング用に機械はゼリーの充填と包装が同時にできる特注の機械で、中には一切空気が入らないといいます。

包装紙は光を通さず、衝撃にも強い特殊なフィルムを採用しました。

中身のゼリーは試行錯誤の末、長期保存しても水とゼリーが分離しない独自の調合で作られています。

乾パンなどに代わる新しい非常食として評価され、全国の自治体や企業など納入先はすでに500を超えています。

またその技術力はJAXA(宇宙航空研究開発機構)と宇宙食の開発を目指しているほどなのです。

1年目はゼリー以外の製品を開発していたが菌が出てしまった。

挑戦を1回諦めて、ただ5年間誰もが安心して食べられるという商品づくりは諦めなかった。

今や注目のベンチャー企業の経営者となった島田さん。名取市内に住んでいた10年前に被災しました。
島田さんが度々訪れるというこの場所。

これを見るたびにしっかり続けていかなきゃと思いながら、いつも見ている。

津波の到達地点を表した石碑です。

広い範囲が津波被害に襲われた名取市。

沿岸から地上およそ5.5km付近まで波が押し寄せ、900人以上が命を失い、島田さんも知人らを亡くしました。

そうした中、島田さんは震災翌日には仲間たちともに炊き出しのボランティアを始めました。その経験がゼリーの開発につながったといいます。

小麦アレルギーの子どもたちも、じんましんが出ながらもパンを食べている状況があった。

寝たきりの人や口から摂取できない、胃ろうからご飯を食べている人がたくさんいる。

そういう人たちに対して今の災害食が本当に適当かが問題だなと思った。

その思いがようやく結実し、子どもからお年寄りまで誰でも食べられる画期的な非常食が誕生したのです。
そして奇しくも先月、福島県沖を震源とする地震があり、あの福島県国見町でも震度6強を記録しました。


道の駅では棚から商品が落ちただけでなく、天井が抜け落ちるなど大きな被害が…


国見町の避難所には地震が起きた直後からおよそ20人が身を寄せました。

そこで、
りんご味で食べやすい。

早速、防災ゼリー「ライフストック」が非常食として役に立ったのです。
地震による対応に追われていた町の職員たちもスーパーなどが閉まり、食料が調達できない中、ライフストックで急場を凌ぐことができました。

国見町の引地真町長、
地震のあとに初めて口にしたのがライフストック。

本当に助かった。

島田さんは復興に向けて防災ゼリーの開発以外にもさまざまな取り組みを進めてきました。
名取市内には蕎麦の店やカフェなど食の商業施設を建設。

また、津波の被害が激しかった宮城県七ヶ浜町には海が眺望できるホテルやカフェを建設し、人気施設にしました。

復興に向けてさまざまな挑戦を続けてきた島田さん。さらに大きなプロジェクトにも乗り出そうとしていました。
舞台となるのはおよそ30万平方メートルに及ぶ宮城県亘理町の沿岸部です。

この場所をキャンプ場などのレジャー施設にすると同時に防災を研究する拠点にしたい考えです。

そして防災都市 東北の考え方を世界に向けてアピールすることを目指します。

多くの税金がこの被災地に投下されたことは事実。

その中でわれわれは何を生み出せたのか。

道路が整備され、防潮堤ができたが、その先にある「文化づくり」がまだまだチャレンジしきれていない。

最大の「防災文化づくり」、それがワンテーブルの役割。
