
介護離職
山梨県韮崎市。
かつて介護離職をしたという人を訪ねました。
54歳の廣瀬仁史さん。
88歳の母親、昭子さんの介護をしています。
母親は入浴や排泄、着替えなどの介助が必要な「要介護3」。
もやしなど野菜中心の質素な昼食。
食事の介助は1日2~3回、シーツや下着が頻繁に汚れるため洗濯は1日3回。
これが毎日あります。
脳血栓で倒れた母親、十数年前本格的な介護が必要になりました。
廣瀬仁史さんは部品メーカーに勤めていましたが母親が頻繁に体調を崩し仕事を抜けなければいけませんでした。
最初は「仕方がないかな」だったが、そのうち嫌な顔をされた。「なんで帰るんだよ」と。仕事を干されるときもあったし、だんだん別の仕事に回された。
そして、ついに介護離職をします。
その後はパートなどの仕事を転々とし20万円程あった手取りは激減、今も週5日働いていますが手取り収入は約13万円。
電気・ガス・水道、全部請求が来るから本当に大変。こんなに1円が「きつい」と感じたのは初めて。
ヘルパーやデイサービスに掛かる費用は母親の年金で賄いますが、それでも残るのは月に1万円程度です。
当時の会社がもっと理解してくれたら良かった。仕事を分担してくれる人がいたらと今は感じているが、それが正しい答えかは分からない。
廣瀬仁史さんと同じ世代の中高年サラリーマンにとっても介護は他人事ではありません。
街の声
親の介護が必要になったとき、今の仕事と両立できるかとの質問に街の人は
できない。九州に母親が一人で住んでいるので東京の仕事を続けながらは厳しい。
働き方を変えるしかない。親の面倒を見ながらできる仕事にするなど。
西久保浩二教授
山梨大学地域社会システム学科の西久保浩二教授によると介護と仕事の両立が難しい理由として「会社に言いづらい」という実態があるそうです。
西久保浩二教授が行った「介護に直面したら会社に言う?」というアンケートを企業に勤める人に尋ねたところ「知らせるつもりはない」という答えが60歳代で63.1%、50歳代で51.2%に上りました。
「言っても会社に応援されないだろう」と期待が薄い。会社の介護に対する考え方や組織の風土を変えるインパクトが必要。
結局、変わらなければいけないのは企業です。
アスクル株式会社
[blogcard url="http://www.askul.co.jp/"]
東京都江東区にあるアスクル株式会社。
毎週月曜日は約700人の社員が参加する朝礼です。
岩田彰一郎社長は朝礼などの場でいつも社員に話すことがあります。
介護で絶対に会社を辞めたらダメだ。みんなで解決できるのが会社。
岩田彰一郎社長の父親、岩田正太郎さんは介護を受けていました。
しかし一昨年、忙しさのあまり父親の危篤を知らせる電話に出られず、亡くなる際に立ち会えませんでした。
こんな思いを社員にさせたくないと、それ以来朝礼や会議の場で頻繁に介護の大切さを訴えています。
社員は
トップが自ら言ってくれると下で働く者は行動を起こしやすい。休みなど取りやすいのでは。
介護は職場に言い出しにくい。だからトップが自ら率先して助けを求めやすい雰囲気作りをしているのです。
制度はできたが使ったら白い目で見られるとか当然心配する。その中で一歩超える勇気を与えるのが経営の仕事の1つ。
介護離職を防ぐために「介護支援制度のハンドブック」を制作しています。
年内に配布する予定です。
介護の支援制度は複雑です。
それを分かりやすく伝えることで、せっかくの制度を知らずに離職するのを防ぎます。
大和ハウス工業株式会社
[blogcard url="http://www.daiwahouse.co.jp/"]
東京都千代田区の大手住宅メーカーの大和ハウス工業株式会社でも新たな試みが行われています。
社員の松岡千恵さんは母親の介護とフルタイムの仕事を両立させています。
午後5時、この職場の終了時間です。
同僚はさっそく退社していきます。
しかし、松岡千恵さんは席を立ちません。
「時差勤務」にさせてもらっている。朝の8時にデイサービスの迎えが来る。その「送り」のために。
松岡千恵さんは時差勤務制度を利用して出社と退社を通常より1時間遅くしています。
ユニークなのはこの制度が無期限で利用できるところです。
大和ハウス工業株式会社ではこのほかにも国が「93日まで」と定めている介護休業を定年を迎えるまでは無期限にしています。
ただし会社から給料は出ません
午後6時、松岡千恵さんも退社します。
介護支援の制度に終わりがないことで安心して働けているといいます。
介護は終わりが分からないので育児と違ってメドが立たない。ありがたい制度を作ってくれた。
やがて訪れる大介護時代。
どうすれば全ての社員が安心して働けるのか難しい模索が続きます。