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[WBS][ロングセラー研究所] マ・マー スパゲティ

2017年9月18日

ワールドビジネスサテライト(WBS)

今日のロングセラー研究所は「マ・マー」のスパゲッティです。

日本にスパゲッティを普及させた立役者なんですが、その裏には壮絶な苦労がありました。

日清フーズ株式会社

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国鉄東海道線の全線を電車が走るようになった1956年、あるロングセラー商品が登場しました。

忙しい時の主婦の味方、マ・マーのスパゲティ。

日本にパスタを普及させるきっかけを作ったこのブランド、パスタ業界を牽引したロングセラーの秘密に迫ります。

マ・マーマカロニ

栃木県宇都宮市でマ・マーのスパゲティは作られています。

飯塚茂雄生産本部長、

これがマ・マースパゲティを作り続けている一番新しい機械です。

まるでカーテンのように大量に吊るされた麺が出ていきます。

実は日本で初めてスパゲティの大量生産をしたのがマ・マー。現在1日に120万食が作られています。

マ・マーの歴史

1950年代、戦後復興が進み生活に欧米の文化が取り入れられるようになりましたがパスタはまだ貴重な存在でした。

そんな中、1955年にマ・マーマカロニの前身である「日本マカロニ」が誕生。

栄養価の高さや日持ちの良さから「パスタを日本に普及させたい」と考えました。

そして本場イタリアからパスタ製造機を輸入し、日本初の機械による大量生産を試みたが、

生産技術の知見がまったくない、いわば素人集団が開始したようなもの。当初は機械こそ入れたものの、まともなものが作れず苦労した。

当時は本場のパスタ作りに使われるデュラム小麦がなくパンを作る強力粉を代用しました。

機械がデュラム小麦用に設計されていたためスパゲティにヒビが入るなどうまく作れず試行錯誤の日々が続きました。

翌年の1956年、ようやく製品化にこぎ着けマ・マースパゲティを発売。

うどんやそばの食文化がある日本ではスパゲティも売れると踏んでいましたが、

乾物のパスタをいきなり口に入れて「食べられないじゃないか」と怒られた。日本人がパスタを食べる経験がなかったので相当腐心した時代だった。

そこでマ・マーはスパゲティを知ってもらうべく動き出しました。百貨店で調理の実演販売を行ったり、当時珍しかったという宣伝カーも走らせました。

こうした努力が実り、1962年には学校給食がスパゲティを採用。発売から10年で販売量は10倍に跳ね上がりました。

品質向上

スパゲティを根付かせたマ・マーが次に目指したのは品質の向上です。

1965年に本場で使用されているデュラム小麦を強力粉とブレンド。徐々にその割合を上げていき20年掛けて1986年、他社に先駆けデュラム小麦100%のスパゲティを作り上げた。

これがバブル時代のイタ飯ブームにマッチしました。

マ・マースパゲティの一歩先行く進化は止まりません。

1986年、「マ・マー スパゲティ プロント」を発売。

V字の切り取り湯で時間を短縮。世間をアッと驚かせました。

2011年、今度は風車のような形状にすることで湯で時間をさらに短縮。

100グラムずつを結束した計量いらずの売り方も先駆けて導入しました。

新し主力シリーズの「早湯でスパゲティ」は順調に市場シェアを伸ばしています。

そんなマ・マースパゲティのロングセラーの極意とは?

ロングセラーの極意とは?

常にパイオニアを持ちお客様が驚く機能をスパゲティに与え続ける。

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