ロングセラーのヨーグルト。
発売された当時は日本人の味覚に全く合わず、そっぽを向かれたそうです。
その危機をどのようにして乗り越えたのでしょうか?
明治ブルガリアヨーグルト
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カンフーブームを巻き起こしたアクション俳優、ブルース・リーが死去した1973年。
日本で初めての砂糖などを加えないプレーンヨーグルト「明治ブルガリアヨーグルト」が誕生しました。
酸っぱいのが好きなので大きいプレーンを買う。
酸っぱいとか甘いとか感覚もない。普通に食べている。
発売から45年、年間800億円以上を売り上げるロングセラーヨーグルトのヒミツに迫ります。
明治 守谷工場
明治のヨーグルト製造工場の一つ、茨城県の守谷工場。
まず見せてくれたのが、マイナス80度で保管されているというヨーグルト作りに欠かせないもの。
これがブルガリアヨーグルトに使っている乳酸菌。
ブルガリアヨーグルトの元となる種菌。定期的にブルガリアから輸送されています。
この菌と新鮮な牛乳、生クリームなどを混ぜ合わせヨーグルトの元を作ります。原料はこれだけです。
この液体をお馴染みの青いパッケージに注ぎ込んでいきます。
しかし、この時点ではまだサラサラの状態。ヨーグルトではありません。
カップに詰めた後に約40度の部屋で数時間置きます。ここで初めて乳酸菌が働いてヨーグルトになります。
大阪万博
明治とブルガリアは研究のため1960年代からヨーグルト菌のやりとりなど交流を重ねていましたが商品化には至りませんでした。
そんな中、事態が大きく動いたのが1970年に開催された大阪万博。
会場のブルガリア館で本国から取り寄せたというプレーンヨーグルトを当時の明治乳業社員が試食し「これが本場のヨーグルトか!」と感動しました。
社員は早速、このヨーグルトを他の社員に食べさせました。
しかし全員があまりの酸っぱさに顔をしかめたといいます。
実は当時の日本には砂糖を加え、寒天などで固めたおやつタイプのヨーグルトしかありませんでした。
明治ヨーグルト・マーケティング部の吉田徹朗部長は、
「この酸っぱさは日本人の舌には合わないのでは」という声が多かった。
明治は「本物は必ず分かってもらえる」という信念の元、ブルガリアの乳酸菌を使ったプレーンヨーグルトを1971年に発売。
都内で大規模な試食会を開きました。
しかし、お客様からは「酸っぱい」「腐っているのでは?」など酷評の嵐。
突き返された皿が山のように積み上がったといいます。
まさにドン底、しかしここで明治は起死回生の一手をうちます。
商品名にブルガリアが必要だということで何回も足しげく大使館に通い、「明治ブルガリアヨーグルト」の名前で販売することができた。
大阪万博から3年後の1973年、ついに「明治ブルガリアヨーグルト」が発売されました。
その後は本場のヨーグルトとして多くの日本人に親しまれるようになりました。
いまやブランド全体で年間800億円を超える売上を誇り、プレーンヨーグルト市場のシェアの3割を占める一大ブランドに成長しました。
そんな明治ブルガリアヨーグルトのロングセラーの極意とは?
ロングセラーの極意とは?
本物は必ず分かってもらえるという熱意。