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[WBS][震災10年に思う]被災地の医療支えた看護師[小松弘子さん]

2021年3月6日

ワールドビジネスサテライト(WBS)

2011年3月11日に起きた東日本大震災から今年で10年を迎えます。

WBSでは「震災10年に思う」と題して、被災した方や復興に関わった方などに10年後の今の思いを聞き、お伝えしていきます。

1回目の今回は、当時自らも被災しながら病院にとどまり続けた看護師の小松弘子さんです。

小松弘子さん

今から10年前の3月11日、東日本大震災。東北一帯に大きな打撃を与えました。宮城県の気仙沼市も津波で変わり果てた姿になりました。

市内の病院は運び込まれた怪我人などで溢れていました。

懸命に治療に当たる看護師や医師自身もまた被災者です。

私たちが出会った看護師の小松さんもその一人。両親の安否も分からないまま病院にとどまり、看護を続けていました。

気仙沼市立病院の看護師、小松弘子さん、

全然情報が分からない。自分の家がどうなったのかも。

流されたという情報はある。海岸の近くなので。

自宅があるのは気仙沼の港から船で30分離れた大島。小松さん両親は無事なのか、取材班は大島に向かいました。

そこで母親は親戚の家に身を寄せていることが分かりました。

小松さんの母、とき子さん、

帰ってこないの。

元気、ありがとうございます。

震災から5日あまり、初めて娘の無事を知った母親のとき子さん。

娘にあてた手紙を取材班に託してくれました。

ありがとうございます。

これで元気もらったので頑張ります。

あれから10年、大江キャスターが小松さんに話を聞きました。

「VTRに母親が手紙を書く様子が映っていたが?」

母は今も元気。すごいパワーで頑張っている。

大島に来て家を再建するまで2~3年のつもりが7~8年、気仙沼市内のアパート暮らしだった。

高校生だった娘が2児の母になった。気仙沼を見ても爪痕が残るがみんな頑張っている。

コロナでなかなか人が気仙沼市内に入ってこないのはあるが、私個人は今、あの頃想像できなかった幸せな暮らしをしている。

「家族」という一番の財産が残ったので、このように生活を送れているが、家族を亡くした人は10年、20年たっても癒やされることはないと思う。

小松さんは今も現役の看護師です。

「10年たって医療現場はどう変わったか?」

落ち着いた。1年、2年、3年後は大きく取り組み、見直しや態勢はだいぶ変わった。

病院の受け入れ態勢の準備や訓練は地震を経験した後なので強化された。

あの震災があり、人に対する考えや家族の向き合い方、生き方も考えた。

あのとき、生かされたというのはある。あそこで人生が終わっていたかもしれない。

目標は1日にひとつは何か自分に残る何か感じられる生活をしていけたら。

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