日本と中国のGDP(国内総生産)を見ながらこの50年を振り返っていきます。
1972年、国交正常化された当時の日本のGDPはおよそ3,000億ドル、対して中国は1,000億ドルでした。
そして1978年に日中平和友好条約が結ばれますが、このときの日本と中国の関係がわかる映像があります。中国の当時の副首相だった鄧小平氏が来日し、日産の工場を訪れました。工場の設備や技術について詳しく訪ね、同じような工場を中国にも建てることを考えていたといいます。
そして1979年にに本は中国へのODA(政府開発援助)をスタートし、その後、円借款、無償協力など合わせて3兆6,000億円あまりを支援し、中国経済の成長を後押ししました。
そしてその後、2010年に中国のGDPは日本を逆転し、去年時点で日本のGDPはおよそ4兆9,000億ドルに対し、中国はおよそ17兆7,000億ドルとその差は大きく開いています。
今後、両国はどう関わっていくべきなのでしょうか。番組では中国とゆかりのある日本人の青年を取材しました。
和歌もおが描く未来の日中50年
「競争」から「共創」へ
東京の慶應義塾大学で開催された講演会。1972年から2072年と題したもので日中関係のこれからの50年がテーマです。
スピーチするのは両国の交流に関わる20代の若者です。
日中学生会議
勝隆一さん(22歳)

これからの50年について話す。
主催した日中学生会議は1986年に設立した団体でこれまでのべ5,000人以上の学生に交流の場を提供してきました。
そこで活動する大学生の勝さんは最近になりある言葉に違和感を抱いたといいます。
勝隆一さん

僕たちの活動の目的は日本と中国の関係を良くしていくこと。
言い換えれば「日中友好」で友好を打ち出していこうということ。
実際に今年の初めにやった。するとどうか、なかなかこれが受けない、非常にコアな層には熱く共感してもらえるが、日中を改善していこうという輪が広がらなかった。
「友好」のために「友好」と言いすぎないほうがいいのではないか。
同じくイベントに参加していたのが27歳の社会人、夏目英男さんです。夏目さんはこの50年を区切りとして日中関係を新たな段階に移す必要性を訴えます。
イーストベンチャーズ
夏目英男さん

これまでの50周年は日中国交正常化してから安定の時代だった。
この50年を機に今後僕たち若者が何をしていくべきかとなったとき、僕たちは競い合う「競争」より、共に創りあげる「共創」。
それを機に日中新時代をつくる必要性がある。
実は夏目さん、中国で19年間暮らしていました。
1995年、日本で生まれた夏目さん、家族とともに5歳のときに中国・北京に移住しました。
3年前に中国最高峰の清華大学大学院を卒業し、日本に帰国。
現在、スタートアップ企業などに投資するベンチャーキャピタルで働いています。
イーストベンチャーズ
夏目英男さん

僕が中国にいた時期が経済的にも飛躍的に成長を遂げていたときでありつつ、デジタル面でも中国がモバイルインターネットの時期から急成長を遂げたときなので日本のスタートアップの方々が「中国のサービスってどうなっているの」とか「中国の市場はどういう市場なの?」みたいなちょきには中国に19年間過ごした経験はかなり生きる。
これからは日本と中国に人材が手を組み、新たなイノベーションを生み出す時代だといいます。
イーストベンチャーズ
夏目英男さん

なぜ日中が「共創」であるべきかというと日本の繊細でものづくりに対する思いはある一方で、中国はスケール化や市場規模の大きさから人々にサービスを届けていく戦略づくりはうまい。
相互の強みを生かして、より良いスタートアップを作りあげていくのは次の50周年に向けてできる。