「ロングセラー研究所」です。ことし50周年を迎えた商品をお送りしていますが今回はホンダのシビックです。発売から50年、さまざまな変遷をへてロングセラーとなった秘密に迫ります。
シビック50周年
日中共同声明によって日本と中国が国交を結んだ1972年、世界に通用する大衆車を目指し、ホンダが売り出したのがシビックです。
1986年生まれ

やっぱりかっこいい。
1960年生まれ

一時乗っていた。やっぱり加速が良かった。
発売から50年、世界で累計2,700万台を販売したホンダのシビック、そのロングセラーのヒミツを探ります。
創業者
本田宗一郎

四輪の地図を塗り替えようじゃないか。
創業者、本田宗一郎の大号令の元、1963年に軽トラックT360で4輪事業に参入したホンダ。
その後も次々に車を出していくが状況は厳しいものだった。
当時、自動車の開発を担当していた伊藤博之さんは…
本田技術研究所 社友
伊藤博之さん(78歳)

2輪の方から俺に「仕事やるな」と言われた。
「4輪はやると必ずお金を無駄に使うからもう車なんて作らなくていいから、2輪がもうかっているからお前は寝てればいいから」と。
実は創業者の熱意とは裏腹に4輪事業撤退が囁かられるほど深刻な販売不振に陥っていました。
そうした中、世界に通用する大衆車を作ろうと開発に乗り出したのがシビックでした。特徴は新たに開発したCVCCといわれるエンジン。排気ガスの有害物質を少なくし、当時達成不可能といわれていたアメリカの自動車排出ガス規制「マスキー法」をクリアしました。いわば元祖環境車。
本田技術研究所 社友
伊藤博之さん(78歳)

ホンダのクルマづくりは国内じゃなくて「世界に通用する車を作ろう」ということでシビックもグローバル化という形で基本的に最初から海外も含めて出すという形で意識してクルマづくりをやっていた。
ただ走行中の風でエンジンを冷やす空冷を中心に考えていた本田宗一郎は水でエンジンを冷やす水冷のある問題を伊藤さんに投げかけたという。
本田技術研究所 社友
伊藤博之さん(78歳)

シビックを俺のところに持ってきて直せと来る。
シビックは水冷だからそれが震えて音になっている。
お前何考えているんだというんで車を持ってきて何とかしろと。
伊藤さんは当時、音や振動を抑える研究をしていてオヤジと呼ぶ創業者、本田宗一郎の激に応え改良を重ねたといいます。
1972年6月7日、第1号車が完成したことを祝う式典。本田宗一郎自らが運転しながら出荷。当初はCVCCエンジンを搭載していなかったが、翌年から搭載し、北米を中心にヒット。
またオイルショックで燃費が注目され、燃費の良さも追い風に販売台数を拡大させました。
さらにこの年のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、シビックは2輪のイメージが強かったホンダを自動車メーカーへと引き上げた。
80年代に入るとワンダーシビックと呼ばれる3代目が居住性を売りに年間40万台以上を生産。
さらに90年代に5代目がファッショナブルなデザインとキビキビとして軽快な走りで若者に受け、年間60万台以上を生産する大衆車に成長する。
ところで現在のシビックはどんなものなのか。
ホンダカーズ東京中央 鶴川店
平野雄介店長

こちらが新しいシビック。
先月発売された11代目のシビックはハイブリッド車。排気量も初代の1,200ccから2,000ccへと大型化しています。価格は発売当時の9倍以上、400万円近くに。しかもセダン車は売れない逆風の時代。
シビックは2000年代には最多となる年間90万台以上を生産していましたが去年は半導体不足などの影響もあり50万台程度にまで落ち込んでいます。
11代目はガソリンエンジンのマニュアル車が販売台数の3割以上を占め、走りを重視する層のニーズを掴んでいるという。
大衆車から大きく姿を変えたシビック。そのロングセラーの極意とは…
ホンダ 四輪事業本部
山上智行チーフエンジニア

SUVが増える中、ベーシックなものを濃縮した車のスタイルが逆に新鮮に。