京王百貨店
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東京・新宿。京王百貨店の果物コーナーでいま一番広いスペースを割いているのが旬を迎えている「イチゴ」。
全国から集った様々なブランドが並んでいます。
中でも目を引いたのが1粒で売られている「ミガキイチゴ」。値段は1,080円。
この大きなイチゴ、なんと被災地で誕生しました。すごい秘密が隠されていました。
株式会社GRA
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1月、宮城県南部の沿岸に広がる山元町。
この町に全国から人々が集まる場所があります。子供連れが入っていったのは明るく広々とした空間に一面の緑。イチゴが鈴なりに実を付けています。ここはイチゴ狩りのハウスです。
30分食べ放題です。
でっかいのあったよ。
中には子供の手に余るほどの大きさのイチゴもあります。
味はどうでしょう?
今までイチゴ狩りは甘いものを探しに歩くけど、ここは全部甘い。
ここは完全予約制。キャンセル待ちが出るほど高い人気を集めています。
岩佐大輝社長
運営している農業生産法人・株式会社GRAの岩佐大輝社長(39歳)。
岩佐大輝社長は山元町の出身。24歳のときに東京でITのコンサルタント会社を立ち上げました。
山元町は東北を代表するイチゴの産地でした。震災による津波で約130軒あったイチゴ農家のほとんどが壊滅してしまったのです。
岩佐大輝社長は震災直後から復興ボランティアに参加。その時、もっと故郷に貢献できるものはないかと考えたといいます。
イチゴは経済的に市場規模が大きくて産業になり得る。イチゴ作りで町の中心的な産業にして世界中でNo.1の施設園芸の最先端の集積基地を作ろうと。
震災の翌年の2012年には農業生産法人・株式会社GRAを設立。
ITを駆使したイチゴの作り方
得意のITを駆使して新しいイチゴの作り方に取り組んでいます。
ここに温かいお湯が流れている。お湯がイチゴの株を直接温めることで寒い冬の中でも温かい環境をつくることができる。
また生育に大切な湿度を保つためミストも定期的に噴射されるように設定されています。
天井にも仕掛けがあります。夜になると自動でカーテンが閉まり始めました。保温のためです。設定温度より低くなると今度は温風が流れ始めます。
こうしたシステムの全てをコントロールしているのがコントロールルーム。
今の温度はどうなっているのか、二酸化炭素はどうなっているのか、光合成に必要なものはCO2(二酸化炭素)。午前中の一番いい時間帯にCO2を最大化させて植物に与える。リアルタイムに100%イチゴにとって最高の環境が実現できる。
従業員はパートを含めて約60人。多くが地元、山元町の人です。
イチゴは15個入りで4,320円。ブランド名は「ミガキイチゴ」。
今では生産量の2割を海外に輸出。年商は10億円に届こうとしています。
新規就農プログラム
一方で岩佐大輝社長はイチゴの産地復活に向けて担い手を育てようとしていました。
全国から集った新規就農プログラムの研修1期生は7人。20代から50代まで幅広い人材です。
どうやって新規就農者に独立してもらおうかと、技術が全くない状態で普通の人はできるだろうかと思った。熟練の人が経験でやっていたのをある程度までは自動化しようと。
研修生は1人につき1棟、ハウスをまるまる任され実習の場にしています。
高橋俊文さん
1月中旬、研修1期生の高橋俊文さん(40歳)。
イチゴの栽培を始めてから3ヶ月経っていました。
なってますね。
見せてくれたのは色付く前の青いイチゴ。
本格的なものとしては第1号。いいですね。
すると高橋俊文さん、何かを摘み取ります。
横から出てくる小さい芽。
こうした余分な芽を摘んで栄養分が実に集まるようにするのです。
高橋俊文さんは福島県相馬市から通っています。ハウスから車で30分ほど。
ただいま。
ここは実家。両親との3人暮らし。
真っ先にパソコンの前に座りました。
夜、温度が急変していないかどうかとか。
自宅に居ながらにして自分が任されているハウスの状況を細かくチェックできるようになっています。
高橋俊文さんは以前、自動車部品工場に勤務。しかし震災の4年後に退職しました。
震災があって、今後どうなるか分からないと思うと自分のやってみたいと思っていることを思い切ってやってみることが大切なことだと気づかされた。
橋元忠嗣さん
1月中旬、宮城県山元町でイチゴを栽培している農業生産法人・株式会社GRA。
研修生の高橋俊文さん、担当するハウスの異変に気づきました。
縁なんかにも出ているし、全体的にまだらに出てしまっている。
いくつかの葉にくっきりとした黒い点が表れています。
そこにやって来たのは農業生産法人・株式会社GRAのスタッフ、栽培顧問の橋元忠嗣さん(69歳)。イチゴ作り40年のベテランです。
震災前の橋元忠嗣さんのイチゴハウスと自宅の写真。津波で全てが流されてしまいました。
今は経験を買われ農業生産法人・株式会社GRAで栽培責任者を任されています。
「じゃのめ」だ。
イチゴの葉によく見られる細菌性の病気「じゃのめ病」だというのです。
さらに異変が、
光沢がない。肥料も足りないかもな。葉がカサカサしている。
橋元忠嗣さんの指摘は栄養不足でした。
難しいんだ。
難しいですね。
ベテランの知恵と経験は農業のIT化を目指す農業生産法人・株式会社GRAでも欠かせません。
橋元忠嗣さんのアドバイスを受け肥料の濃度を変えてみます。
データを見て500倍に薄めていたものをちょっと濃くしようと。
肥料の濃度を上げて様子を見ることに。イチゴの生育と肥料の関係、誰でも簡単に栽培できるようにデータ化しなくてはなりません。
データ化
宮城県山元町でイチゴを作っている農業生産法人・株式会社GRA。岩佐大輝社長、パソコンを使って何かを始めました。
今のこの状態の葉の画像を認識する。
葉の画像。色や形、ツヤがどのようになっているのか成長の段階ごとに調べているといいます。
その時に地中の成分がどういう状況になっているかを同時に調べる。
同時に地中の成分も調べます。葉の画像と照らし合わせデータ化するのです。ここにもハイテクが使われます。
こうしてベテランの経験に頼っていたこともITでコントロールできるように研究を続けています。
収穫
2月。研修1期生の高橋俊文さん、いよいよ初めてのイチゴの収穫を迎えました。
そこに岩佐大輝社長と栽培責任者の橋元忠嗣さんの姿が。
どうですか?調子は?
葉っぱ治ったな。
治りましたね。
橋元忠嗣さんのアドバイスのおかげで葉の光沢が蘇っていました。
高橋俊文さんのイチゴは見事に育っていました。かなりの大きさ。
完熟だね。
問題は味。
果形も良くて張りもあって糖度も高いね。美味しい。
橋元忠嗣さんは、
美味い。
素晴らしいじゃないですか。
高橋俊文さん、一安心です。イチゴ栽培の第一歩を踏み出しました。
続いて向かったのは
ここはいい土地だね。
一面すごく広い。
高橋俊文さんは今、独立後にイチゴハウスを建てる場所を探し求め山元町を回っています。
自分がしっかりイチゴを作って規模もゆくゆくは大きくして一緒に働く仲間をどんどん増やしていけたらいいなと思うし、農業で山元町を復興させることに少しでも力になれたらいいなと思う。
高橋俊文さんの夢はますます膨らんでいきます。
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