戦後のおやつの定番ともいえるミルク味のキャンディーのヒミツを探ります。
株式会社不二家
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1951年、日本がサンフランシスコ講和条約に調印し、主権を回復したこの年にあるロングセラー商品が生まれました。
不二家のソフトキャンディー「ミルキー」です。
みんな大好きな味なのでは。
ミルクを使っているから体にいい。他のよりいいかな。
1990年からミルキーを製造している静岡県裾野市の工場を訪ねました。
ボイラーで水あめと練乳などを混ぜたシロップを100度の温度で煮詰めていきます。出てきたのはクリーム色の生地。それを引き伸ばしながら練るとほどよく空気を含み真っ白な生地ができます。
それを成型するとミルキーの完成です。
この30年間で累計約3億4,000万袋を販売したミルキー。そのロングセラーのヒミツに迫ります。
ミルキー
不二家は1910年(明治43年)、藤井林右衛門さんが洋菓子店として創業。
藤井さんは戦後、空襲で焼け残ったたった1基のボイラーを頼りに会社の再建に乗り出します。
まずは練乳と水あめの製造を始めた藤井さん、
水あめと練乳で何かできないか?
2つの原材料を練り込み、2年の試作を重ねて完成させたのがミルキーでした。1951年、ミルクそのままの味を売りに発売。
パッケージにはおなじみのペコちゃんをデザインしました。
キャラメルが1箱20円の時代にミルキーは1箱10円。手頃感もあってたちまち大ヒット商品となりました。
1980年代、「ミルキーはママの味」というキャッチコピーでさらに認知度を高めました。
そして2000年以降に入ると、今度は派生商品の開発に力を入れました。
商品開発部の田中秀光キャンディー開発課長は、
そういう派生商品を導入することで定番のミルキーも併せて売っていきたい。
七五三の時期には千歳飴、さらにお土産用のご当地商品など多くの派生商品を生み出すことで売上の維持に努めました。
不祥事から
しかし、2007年1月、不二家が消費期限切れの原材料を洋菓子に使用していた問題が発覚。菓子類の製造停止に追い込まれました。
2ヶ月間の生産停止期間の後、まず製造を再開させたのは不二家の象徴「ミルキー」でした、。
現在では食品衛生の専門家が常駐し、いつの原材料がどの製品に使われたのかをチェックしています。
キャンディー製造課の塩川友孝係長は、
菓子をつくりたいという気持ちが強いので品質管理には力を入れて生産していきたい。
味の進化も、2016年9月からは「もっと濃厚なミルクの味を楽しみたい」というお客様の要望に応えて北海道産の生クリームを加えました。
派生商品の開発では今度はシニアの声を聞きました。
味はそのままですが固い。歯にくっつかない。
葉につきにくいハードタイプを開発。少子高齢化の時代に合わせてシニアにもターゲットを広げています。
進化を続けるミルキー、そのロングセラーの極意とは?
ロングセラーの極意
基本のおいしさは曲げず、時代に応じた品質改良。