宮城漁師酒場 魚谷屋
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新宿から快速で1駅の東京・中野。飲食店の激戦区です。
その駅前に2016年6月、異色の店がオープンしました。
「宮城漁師酒場 魚谷屋」。
毎日、三陸の海から旬の水産物が直送されてきます。「刺し身の盛り合わせ」も仕入れによって変わります。この日はシラウオにアイナメ、ヒラメにナメタガレイ、そしてメカジキでした。
いち押しは「牡蠣の酒蒸し(1,900円)」。いまが食べ頃です。
拍手で迎えられた男性。
お頼みになられたんですね。
店員ではありません。牡蠣を育てた本人です。
石巻市からやって来たカキ漁師の鈴木一樹さん(35歳)。
実際に獲った人と一緒に食べられるなんてなかなかない。カキばかり食べています。
「宮城漁師酒場 魚谷屋」は毎月、漁師が出勤する日を設けています。
一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン
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経営しているのは一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンという団体。2014年、宮城県石巻市で8人の若手漁師が中心となって立ち上げました。
鈴木一樹さんもその一人です。
設立のきっかけは2011年の東日本大震災。壊滅的な被害を受けた三陸の水産業復活が旗印です。
自分が引っ張るではないが、若い者が頑張らないといけない。
ヤフー株式会社
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そんな一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンを支援してきたのは大手IT企業のヤフー株式会社。
ヤフー株式会社は震災の翌年から石巻市に事務所「石巻ベース」を構えています。
「石巻ベース」の中心人物が長谷川琢也さん(39歳)。
もともと石巻は美味しいものをつくる町だった。産業の復活を一緒にやってほしいと言われた。
ヤフー株式会社の社員でありながら一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンの事務局長も兼任しています。
漁業就業支援フェア
2016年3月、長谷川琢也さんが東京にやって来ました。「漁業就業支援フェア」という新人漁師を募集する大規模なイベントに参加するためです。
一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンの新たな挑戦。それは漁業の担い手つくり。
浜の雰囲気とか漁師に会ってもらうのが一番いい。本当に見学に来ませんか? 1泊2日でも2泊3日でも。
カキの生産量は震災前のまだ半分になっていない。ニーズは増えているのに生産者がいないから追いつかない。今やらなかったらいつやるんだ。
石巻市で漁業に就業している人は震災前に比べ37%も減っています。
被災地の未来を支える担い手たちをどう育てていくのか? その様々な挑戦を追いました。
研修生用シェアハウス
宮城県牡鹿半島。2016年4月下旬、ある施設の開所式が行われていました。
漁師の研修生用シェアハウスです。
古い民家を改修し最大4人が共同生活を送れるようになっています。
家賃は月3万円。
仕掛け人はヤフー株式会社の社員で一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンの事務局長、長谷川琢也さん。
この事業には石巻市や宮城県漁協も資金や運営の面で協力しています。
漁師になるのに必要なのは漁業という仕事とそれから家・コミュニティー、楽しく生活する暮らしが必要。その3つをこの家で実現する拠点にできれば。
シェアハウスからは30分以内で通える浜が点在。共同生活をしながら一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンが紹介する浜で研修を受けます。
そして漁師と合意すれば従業員として働ける仕組みです。
大野立貴さん
5月26日、朝6時半。シャアハウスから一人の若者が出てきました。大野立貴さん(28歳)、2日前に滋賀県からやって来たばかりです。
この日は研修初日。ちょっと緊張気味。
到着したのは石巻市牧浜。ここが最初の研修場所です。
待っていたのは一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンのカキ漁師、鈴木一樹さん。東京の居酒屋に居たあの漁師さんです。
まずは鈴木一樹さんのもとで2週間の研修。大野立貴さん、漁業はまったくの未経験です。
港を出て約10分、カキの養殖場が見えてきました。
今日、出荷するカキを引き上げます。すると、
これを揚げてみて。
カキの入ったカゴを引き上げるように命じられました。
しかし、
どうやって結んであるんですか?
カゴを結んだロープが解けません。カキ漁師が最もよく使う結び方のひとつです。
ここに負荷かけることで取れない。でも緩めると簡単に取れる。
練習します。
今度は水揚げしたカキを選別します。出荷できるのは100グラム以上だけ。
大体見て分かった?
大体は。
後は全て一人でやるように言われました。ひたすら選別すること約5時間。
もうベテランになった?
まだ全然です。
鈴木一樹さんは、
細かい作業が養殖業は多いのでタイプ的には合うと思った。
その日の夕方、シェアハウス。
大野立貴さんと共同生活を送るのは青森県出身の松田熙嗣さん(22歳)。別の浜のカキ漁師のもとで研修を受けています。
鈴木一樹さんが今晩のおかずにと持たせてくれたカキ。すると手慣れた感じで料理を始めました。
実は大野立貴さん、調理師専門学校を卒業後、大手ホテルで料理人として働いていました。その時、食材そのものに興味が湧いてきたといいます。
漁師自体は高校の時から興味があったので動けるうちにやりたいと思っていたことを全部やりたい。
元コックが腕をふるった料理。
カキ ペペロンチーノ アヒージョ汁。
グレート。
グレートですわ、こいつは。
どうでした今日は?
初日だし、初めての仕事ばかりで疲れた。
俺も初日は死んでましたね。
そこまで大変な仕事はしていないのに疲れている。
Yahoo!ショッピング
別の日、大野立貴さんがヤフー株式会社に長谷川琢也さんを訪ねました。
みんなで最高のものをつくって最高の販路をつくろうというのがフィッシャーマン・ジャパンのもともとの考え方で、最初は苦労もあるし、手間もかかるけど、その分、成果が出てくるし、すごくうまくいくと売り上げや儲けも増える。
一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンの漁師たちはヤフー株式会社の通販サイト「Yahoo!ショッピング」を使って水産物を直販しています。
例えば生で食べられるLサイズの牡蠣は20個、3,996円。
こうした事業が好調で、いまではヤフー株式会社の通販サイトでも人気です。
長谷川琢也さんと話し、一層やる気になった大野立貴さん。
彼にとっても人生が掛かっているのです。
自分で手を掛けたら手を掛けただけ良くなる仕事が僕は好き。カキだと養殖で自分で工夫して手を加えられる。将来的には独立できたら、という気持ちでいきたい。
漁業権
大野立貴さんが石巻にやって来て約1ヶ月の6月下旬。
2人目の漁師のもとで研修を受けていました。
侍浜のカキ漁師、杉浦孝行さん。カキがシーズンオフに入ったので、この日は刺し網漁。
狙いはシャコです。
大野立貴さん、なかなかいい手つきです。漁師の仕事も慣れてきたのでしょうか。
まあ、いろいろと分かってきた。
「何が分かった?」
今言いづらいようなことも。
ここで言いづらいこととは一体何なのか?
仕事が終わるのを待ってシェアハウスで聞くことにしました。
独立したいと言っていたけど「漁業権」という面倒くさいものがある。取得が相当厳しいみたい。地元の人ですら漁業権取れないと聞いたので。
独立したい人にとって厳しいという漁業権とは?
宮城県漁協石巻地区支所を訪ね聞いてみます。
牡鹿半島エリアを担当する三浦雄介さん(32歳)。
漁業権に関する漁場図の資料。
見せてもらうと海がいくつもの区画に分けられていました。
独立してカキ養殖を始めるのには区画内で養殖を営む権利「区画漁業権」が必要だといいます。
その「区画漁業権」を取得するには漁協の「正組合員」になることが前提。
しかし、組合員になるには原則、同じ浜で働く漁師全員の合意が必要。これが難しいといいます。
組合員の資格を得るには血縁関係の中でとか、もともと地元に住んでいた人が漁業をすることは可能だったが、全く新規となると今まで前例がない状況。
この地域で他所から来た人が組合員になった前例はこれまでないというのです。
思わぬ事態に一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンが動きました。長谷川琢也さんが三浦雄介さんと打開策を話し合います。
今の段階ではっきりと「組合員の資格をあげられる」というのは誰もできない。
それは地域の問題でしょ?
受け入れ先を探すしかない。やれる範囲で聞いてみます。
「独立したい人」を受け入れてくれる漁師を探すということだね。
従業員として働くのではなく、独立を目指したい大野立貴さん。受け入れ先は見つかるのか?
後継者
8月、2ヶ月ぶりに大野立貴さんを訪ねてみると、これまでとは別の浜で働いていました。
夏はカキの種付けのシーズン。大野立貴さんはその種付けに使う仕掛けを作っていました。
ホタテの貝殻に穴を開け針金を刺していくと出来上がります。これを海に沈めるのです。
夏の海には卵から孵った幼生というカキの赤ちゃんが大量に漂っています。それが仕掛けに付着して種となります。これがカキ養殖の第一段階。
大野立貴さんに仕掛け作りを命じたのは蛤浜のカキ漁師、亀山秀雄さん(69歳)。
漁協から大野立貴さんを紹介され従業員としてではなく後継者として受け入れるというのです。
仕掛けを沈めて2週間後、亀山秀雄さんが仕掛けを引き上げます。種がどんな風に付いているのか大野立貴さんに教えるためです。
これは大野君がつくった仕掛け。これが種、これも種。
仕掛けには種がいくつか付いていました。収穫はここから1年3ヶ月後。
「育ちはどう?」
何とかできます。
独立を前提に大野立貴さんは養殖場の一画を亀山秀雄さんから任せられました。従業員だったら経験できない仕事です。
一から勉強させてもらってすごくありがたい。
それにしても亀山秀雄さん、何故見ず知らずの大野立貴さんを後継者にと考えてくれたのでしょうか?
今は妻の昭子さんと2人で養殖業を営んでいます。子供は娘が2人。既に嫁いで跡継ぎはいません。
亀山秀雄さんは蛤浜で18歳の時から40年以上、仲間とともにカキ養殖を続けてきました。
震災前は漁師は2人だった。私の他にもう1人、カキ養殖をやっていた。奥さんが津波で流されてしまって亡くなって、もう1人はやめてしまった。
1人になっても蛤浜のカキ養殖を守ろうとしていた亀山秀雄さん。しかし、それを拒むものがありました。
黒く見えていますよね。消波ブロックが流されている。
海面に映る黒い影、津波で流された消波ブロックが海底に残っているため船を港につけることができません。
現在は隣の折浜に船を置かせてもらい養殖場に向かっています。水揚げしたカキも折浜から出荷させてもらっているのです。
奥に見えるのが折浜。
折浜で仕事をしていても、こっちを見ると昔のことを思い出す。こっちへ帰りたいなと思うけどなかなか。本当に悲しくなる。
現在、蛤浜の漁師は亀山秀雄さんただ1人。亀山秀雄さんさえ認めれば大野立貴さんを組合員にすることは難しくありません。
蛤浜が復活した時、大野立貴さんが後継者になる。それが亀山秀雄さんの思いです。
大野立貴さんは、
ちゃんと独立するのが恩返し。頑張らないと。
大野立貴さんは独立に向け船の免許も取りました。
他所からやってきた新人漁師が独立する。新たな試みが石巻で少しずつ進んでいます。
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