株式会社バンダイ
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「竹の子族」が原宿の歩行者天国で踊っていた1980年。あるロングセラー商品が登場する。
それ人気アニメ「ガンダム」のプラモデル、通称「ガンプラ」です。
都内のとあるマンションの一室、赤く光るビーズをデコレーション。彼女たちは「ガンプラ女子」。
独自の目線でお菓子などとガンプラを一緒に飾り、スマートフォンで撮影。さらにSNSで発信します。
プチッガイwithバルバトス お菓子#ガンプラ女子 #gunpla_joshi #ガンプラビルダー #プチッガイ #バルバトスルプス #ガンダム初心者 #ガンプラはじめました #ガンプラはどんな自由な発想で作ってもいいんだ pic.twitter.com/VzBAVeXs6n
— MaY@ガンプラ女子❤️ (@gunpla_joshi) 2017年3月4日
スゴい楽しいし女子でもハマる人は多い。
累計で4億6,000万個を販売しているガンプラはもはや男性向けのホビーにとどまらない。
ガンプラ
株式会社バンダイは1950年、山科直治氏が玩具販売の萬代屋として創業。
1967年に模型部を設置しプラモデル事業をスタートしました。
そして新たな商品開発に動いていた1975年、
大学生に人気のアニメがある。
当時、営業担当だった株式会社バンダイナムコエンターテインメントの大下聡社長は、上司がガンダムの商品化を進めたと語ります。
ただ、
誰1人知らなかった。シーンとしていた。
実はガンダム、初回放送当初は視聴率が振るわず打ち切りになるところでした。
当時、プラモデルの中心は戦車などのミリタリーもの。他社に遅れを取っていた株式会社バンダイはまだ認知度が低かったガンダムで勝負を賭けた。
すると、
出した瞬間に電話が鳴りっぱなし。「足らない足らない」と「えっ」ていう話になった。
賭けは大成功。
ガンダムの人気はアニメ作品の人気を作り相乗効果で国民的な作品にまで成長させました。
ホビーセンター
静岡にある工場を訪ねました。
連邦軍のユニフォームを着たホビー事業部の志田健二シニアマイスターが案内してくれました。
プラモデルの金型。
1980年からいまだに使い続ける1/144スケールのガンダムの金型。
多くの玩具メーカーが生産拠点を海外に移していく中で国内にこだわる理由は、この金型にあります。
通常、金型は10年ぐらいと言われているが、プラモデルの場合、30年経ってもメンテナンスしながら使っている。これが本当の財産。
金型は職人の手によって1/1,000mmの単位まで調整・メンテナンスがされています。
ガンプラの進化
ガンダムのプラモデルは白一色のため塗装が必要。しかしお客様からこんな声が、
シンナーが臭い。
色がうまく塗れない。
対策が急がれました。
そこで色を塗る必要がないガンプラが登場。これによりお客様の裾野が広がりました。
17台ある多色成形機は常にフル稼働。年間1,000万個以上がここから生まれています。
いまや16の国や地域で展開しているガンプラ。今年の夏には東京・台場に新たに直営店をオープンして日本から世界に発信していきます。
常に進化をしているガンプラ。ロングセラーの極意とは?
ロングセラーの極意
ホビー事業部の筒井慶剛さんは、
作りこみの楽しさを追求しお客様の声を聞き商品を進化させる。