「ケーザイのナゼ?」です。いま若者たちに人気なのが小さな店が軒を連ねる横丁です。背景にはいわゆるインスタ映えなどがありますが、それだけではありません。実は若者の横丁人気はほぼ10年おきにブームになっているということです。そのワケは意外な所にありました。
若者 横丁ブームなぜ繰り返す?
横丁といえば路地裏に酒場が軒を連ね、酔っ払ったおじさんたちのたまり場というイメージでしたが…
7月、東京・浅草にできた横丁はなんとビルの4階。
派手な装飾の7つの店が立ち並ぶ浅草横丁。
浅草すしの一番人気はマグロにとろろ、イクラの映える巻きすし「マウント寿司」。
いづもはうなぎの店。おすすめは塩で炙った串焼き「うなぎの蒲の穂焼」です。
昭和時代、大人の哀愁漂う場所だった横丁は令和のいま若者たちであふれているのです。
横丁に来た理由は?
若者たちに横丁に来た理由を聞いてみると…
お客さん
かわいくて楽しい。
お客さん
世の中が静かになっている感じを盛り上げてくれている。
自分はここに行くと元気が出る。
浅草横丁を手掛けたのは飲食店を運営するスパイスワークスホールディングス。
スパイスワークスホールディングス
下遠野亘社長
人とのつながりや温かさ、人との出会いを感じてもらっている。
浅草横丁は雑多な横丁の雰囲気に日本の祭りの楽しさを融合。映える横丁とSNSで話題となり連日多くの若者が集っているのです。
横丁に若者が注目したのはいつ?
では、大人の横丁に若者が注目し始めたのはいつなのか。
ブームの火付け役は1998年、吉祥寺にオープンしたハモニカキッチンでした。当時寂れていたハモニカ横丁におしゃれな内装の店をオープンし、若者を横丁に呼び込むことに成功したのです。
ハモニカキッチンを立ち上げたのが手塚一郎さんです。
手塚一郎さん
1998年は横丁が真っ暗だったので「ここだったら好き勝手にできる」と思っただけ。
実は不景気や災害などで社会が不安定になると横丁がブームになるという法則があるのです。
ハモニカキッチンがオープンした前年の97年は山一証券や北海道拓殖銀行が経営破綻。
山一証券
野澤正平社長(当時)
社員は悪くありませんから。
バブル崩壊の影響が表面化し、日本が本格的な不況に突入したころでした。
ハモニカキッチンの成功をきっかけにその後、各地の横丁に若者や女性が集まり始めたのです。
さらに2008年、世界的な不況をもたらしたリーマンショック。その年にオープンしたのが恵比寿横丁です。
ショッピングセンターの跡地にゼロから新たな横丁を開発したのです。
不景気の中、安く飲めて、気心知れた仲間と楽しめる空間が若者の心をつかみ大ヒットしました。
全国の横丁を研究する流通科学大学の新雅史さん。恵比寿横丁はそれまでの横丁とは全く違うといいます。
流通科学大学 商学部
新雅史専任講師
「ハモニカ横丁」は自然発生的に生まれた横丁をリノベーションした再生型と表現できる。
「恵比寿横丁」は横丁でない場所に雑多な横丁を人工的につくった開発型の横丁と言える。
恵比寿横丁を開発した浜倉好宣さん。東日本大震災をきっかけにさらに横丁に若者が集まるようになったといいます。
「恵比寿横丁」を開発した
浜倉的商店製作所
浜倉好宣社長
2011年に震災になったら若い人たちは独身が多いので揺れると不安になる。
若い人がここに行ったら誰かがいるという場所になった。
震災後の不安感とデフレを背景に浜倉さんは開発型の横丁を次々とヒットさせました。
また飲食事業者にとっても単独で出店するより店が寄せ集まった横丁の方がコストがかからないという事情も。
流通科学大学 商学部
新雅史専任講師
資金力のない事業者も集まって横丁ができる。
そして世界を襲った新型コロナで若者たちは再び横丁へ。いまや都内だけで開発型横丁が20ヵ所以上もあるのです。
来年4月には新宿歌舞伎町にも新たな横丁が誕生します。
仕掛けるのは恵比寿横丁を開発した浜倉さん。
浜倉的商店製作所
浜倉好宣社長
歌舞伎町らしいワクワクするような安全にご飯が食べられる場所。
歌舞伎町が元気になっていけばいい。
横丁はこれからも進化を続けていきそうです。