株式会社セブン&アイ・ホールディングス
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2016年4月7日、株式会社セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長が突然の辞任を発表しました。
わたしは逃げではなく逆にここのときこそ、みんなに考えてもらえたらいいというつもりで今回引退を決意しました。
皆さんに集まってもらい、こんな説明するのは慚愧(ざんき)に堪えない。
御年80歳、鈴木敏文会長は自ら幕引きを決意しました。
社長人事
鈴木敏文会長の辞任の発端は株式会社セブン‐イレブン・ジャパンの社長人事です。
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鈴木敏文会長は7年前に自ら任命した井阪隆一社長を交代させる方針を決めていました。
その理由を鈴木敏文会長は言います。
井阪隆一社長がCOO(兼社長)として役割を果たしてきたかというと、会社全体として見たときに物足りなさがあった。
改革案がほとんど出なかった。
鈴木敏文会長によると井阪隆一社長は交代を受け入れたもののその後態度が一転したそうです。
井阪隆一社長から「マンションの支払いも続行しています」「私は若いです」「株式会社セブン‐イレブン・ジャパン一筋で学卒でやってまいりました」「だから今辞めるわけにはまいりません」と言われました。
村田紀敏社長
株式会社セブン&アイ・ホールディングスの村田紀敏社長は井阪隆一社長の心変わりの裏には伊藤雅俊名誉会長の存在があることを感じさせました。
伊藤雅俊名誉会長は今まで鈴木敏文会長に対して経営の信頼性を持っていたのが、なぜこの件に関しては「承諾をできない」のかと…なぜなのか…
取締役会
2016年4月7日の朝に行われた取締役会。
社外取締役は「過去最高益を達成する中で井阪隆一社長の交代は外部に対して説明がつかない」と言ったそうです。
井阪隆一社長は交代を拒否して
この7年間、業績は残していた、まだやるべきことはたくさんある。
無記名投票の結果、15人の取締役のうち「賛成7」「反対6」「棄権2」で過半数に届かず井阪隆一社長の交代はわずか一票差で否決されました。
鈴木敏文会長の引退の決意
反対票が社外役員をはじめ社内役員からも出るようだったら、私は信任されていないなと…
このような形で退任するのはどんな気持ちかと聞かれると
ずっと最高益を続けてきた。まあ仕方のないことだと思います。
と答えました。
流通革命
鈴木敏文会長は日本の流通に革命を起こした人物です。
世界に冠たる「コンビニ」をゼロからつくり上げた人物です。
1974年にセブン‐イレブンの国内1号店がオープンしました。
この時に株式会社イトーヨーカ堂の取締役としてセブン‐イレブンの開店を手がけたのが鈴木敏文会長です。
アメリカの企業からライセンスを受けた形ですが、その品揃えは日本独自のものでした。
おにぎり
手巻きタイプのおにぎりはセブン‐イレブンが初めて販売しました。
当初はおにぎりは家で作るものとして冷ややかな見方がされていましたが、大ヒットとなりました。
商品の品質・サービスの向上
鈴木敏文会長は商品の品質向上にも努めてきました。
新商品の試食会では自ら厳しくチェック。
ひとつひとつをチェックしてコンビニ商品に高品質のイメージを植え付けてきました。
さらに24時間営業、公共料金の支払いなどもセブン‐イレブンが初めて行いました。
2001年にはコンビニATMとしてアイワイバンク銀行(現セブン銀行)を設置。
自前で銀行まで設立してコンビニが生活に欠かせないものにまで進化させました。
先々に対応するという考え方を持たなくてはならない。
米投資ファンド「サード・ポイント」
サード・ポイントが「アクティビストファンド(モノ言う株主)」として様々な要求を株式会社セブン&アイ・ホールディングスに突き付けています。
鈴木敏文会長が次男の康弘氏を後継者にしようとしていると批判したり、営業赤字の株式会社イトーヨーカ堂の切り離しも要求しています。
鈴木敏文会長が退いた後、一体どこへ向かうのでしょうか?
風早隆弘シニアアナリスト
ドイツ証券株式会社の風早隆弘シニアアナリストは言います
鈴木敏文会長が辞任して、できなかったことができるようになるかもしれない。株式会社イトーヨーカ堂などの課題の事業にどう対応していくのか。経営として考えられる要素は増える可能性がある。