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4月19日は「地図の日(最初の一歩の日)」です。

2016年4月19日

地図の日(最初の一歩の日)

今日は「地図の日(最初の一歩の日)」です。

216年前の寛政12(1800)年旧暦閏4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発しました。

大日本沿海輿地全図

大日本沿海輿地全図は伊能忠敬などによって作られた日本初の日本全土の実測地図です。

蝦夷地の測量を開始した1800年から大日本沿海輿地全図の完成まで21年の年月を掛けて1821年8月7日に大日本沿海輿地全図は完成しました。

大日本沿海輿地全図が完成する前の1818年に伊能忠敬は亡くなります。

伊能忠敬

伊能忠敬は49歳で隠居し、50歳の時に天文学者の高橋至時に弟子入りをします。

当時の日本では子午線1度の相当弧長が25里、30里、32里とまちまちで、どれも信用できるものではありませんでした。

伊能忠敬は自らおこなった観測により子午線1度の距離を求めましたが、高橋至時に両地点の緯度の差は小さすぎるから正確な値は出せないと返答され、正確な値を出すためには江戸から蝦夷地ぐらいまでの距離を測ればよいのではないかと提案されました。

高橋至時はロシアなどの北方の脅威に備えるために蝦夷地の正確な地図をつくる計画を江戸幕府を願い出ます。
これにより江戸と蝦夷地の距離が測れ、子午線1度の距離を求められられると考えました。

そして第一次測量となる蝦夷地の測量が1800年に開始されました。

測量にかかった日数は180日、そして約20日間を掛けて蝦夷地の地図を作成しました。

この地図が高い評価を得て、第二次測量として伊豆・東日本東海岸を測量を1801年に始めます。

その後も測量は1816年の第十次測量まで行われ、伊能忠敬は第九次測量を除く測量に参加しています。

地図の作成は1817年の終わりまでには完成する予定でしたが計画は大幅に遅れます。

秋ごろから伊能忠敬は喘息がひどくなり、病床につくようになります。

1818年4月13日に伊能忠敬は弟子に見守られながら満73歳で亡くなります。

地図が完成していなかったため、伊能忠敬の死は隠され弟子たちによって作業は進められました。

1821年8月7日に大日本沿海輿地全図は完成して幕府に提出されました。

そして9月4日、伊能忠敬の喪が発せられました。

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