[カンブリア宮殿] 「みそかつ」を名古屋名物に!人情女将の細腕繁盛記!

「みそかつ」を名古屋名物に!人情女将の細腕繁盛記!

岡崎サービスエリア

愛知県岡崎市に今年オープンした岡崎サービスエリア。

最新のサービスエリアにはお客様を呼び込む様々な仕掛けがあります。

例えば24時間営業のコンビニ「セブン‐イレブン」の奥にはコインランドリーやシャワーまで利用できるようになっています。

長旅のドライバーには嬉しい設備です。

施設の屋上に上がると人工芝の上で子供が自由に遊べるルーフガーデンがあります。

サービスエリアでお客様を最も魅了するのが充実したフードコートです。

最高の名古屋コーチンを使用した地元のお店「伊藤和四五郎商店」の親子丼。

100年の伝統を持つ老舗「大正庵釜春」の八丁味噌煮込みうどん。

岡崎サービスエリアには地元の名店が集まっています。

スペイン窯 「パンのトラ」の売りはカレーパン。
カレーに八丁味噌を混ぜ込んだ濃厚な味わいがやみつきになる逸品です。

休憩がてらに寄ればご当地グルメを味わい尽くせる。
こんなサービスエリアだから遠方からもお客様が来られます。

株式会社矢場とん

岡崎サービスエリアでひと際長い行列で売れまくっていたのが名古屋名物の「みそかつ」です。

お客様は

静岡から、「矢場とん」を食べたくて並んだ甲斐があった。

わざわざ「矢場とん」を食べようと思ってきた。これを食べるためだけに。

そんな一度は食べてみたい名店「矢場とん」。

その人気は東京でも急速に高まっています。

八重洲の地下街の「矢場とん東京駅グランルーフ店」も長い行列を作っていました。

満席の店内でお客様たちは待ちに待った「みそかつ」に夢中にかぶりついていました。

東京駅にできたのをニュースで見たので、ぜひ来たいと思って。

すごくおいしくて好き。東京に出店してうれしい。

「矢場とん」は今や北陸から九州まで全国規模で展開。

年商は右肩上がりで急拡大して2015年度は37億円に達しました。

「矢場とん」の本拠地は名古屋です。

矢場とん本店

名古屋市中区矢場町の交差点に「矢場とん」の本店があります。

1947年創業の老舗店舗の壁にはとんかつの横綱を示すキャラクター「ぶーちゃん」が描かれています。

名古屋にみそかつのお店は星の数ほどありますが、「矢場とん」ほど行列を作るお店はありません。

おいしさの秘密

豚肉は選りすぐりの南九州産。
甘みのある柔らかい肉質が特徴です。

ふわふわのパン粉は他とは違います。

千野広仁さんによると

とんかつ屋さんは生パン粉が主流。乾燥パン粉を使っているところは少ない。うちは99%、乾燥パン粉。

多くのとんかつは10分以上掛けて揚げますが、「矢場とん」では乾燥パン粉を使うことで、わずか5分でカリカリに揚げます。

これが他にないサクサクの美味しさを生む秘密です。

揚げ時間が短いので食べた時に油っぽくない

このとんかつに「矢場とん」最大の特徴が惜しげもなくかけられます。

お客様を虜にする「秘伝のみそだれ」です。

驚くほどサラサラのみそだれにこそ「矢場とんの歴史」が刻み込まれています。

矢場とんの歴史

みそかつを名古屋名物にしたのは「矢場とん」といっても過言ではありません。

それを知るのが行列ができた時に現れてマジックを見せてくれる男性。

「矢場とん」創業者の息子の鈴木孝之会長です。

行列が長い時、子供が退屈するから、並んでいる時間が少しでも短く感じるから。

鈴木孝之会長曰く名古屋名物みそかつのルーツは「串かつ」にあると言います。

戦後はどこの屋台でも「どて煮」「串かつ」が付き物だった。

名古屋で親しまれてきたどて煮。

八丁味噌のだし汁で牛すじを煮詰めていたましたがある日、

隣にどて鍋があったから、お客様が勝手にどて鍋の中に串かつを突っ込んだ。

それを食べ始めたそうです。

みんな、みそをつけて食べるようになって、みそ串かつを専門的にやり出した。

みそ串かつを正式なメニューとして売りだしたのが創業者の鈴木義夫氏です。

「矢場とん」が市民に親しまれるきっかけがナゴヤ球場です。

「矢場とん」はみそ串かつを売るお店を出店させ、大ヒットになります。

最盛期には5店舗をかまえ、名古屋名物の足掛かりを作りました。

みそだれ作り

どて煮をルーツとする「矢場とん」のみそだれ作りの秘密をその道50年の職人、木内英冶さんに教えて頂きました。

みそだれ作りに不可欠なのが豚ヒレのスジ肉です。

昔から肉でダシをとってる。

このダシに天然醸造の豆みそを加えます。

どて煮に始まるからこそ「矢場とん」のみそだれは肉からダシをとったサラサラのタレです。

鈴木純子女将

1971年、「矢場とん」にサラリーマンの家に生まれたある女性が嫁いできます。

鈴木孝之会長は

田代みどりにそっくりだった。アイドルスター。

田代みどりに似ていた女性が「矢場とん」を一躍、名古屋名物みそかつの代名詞にまで育て上げました。

その女性は今も暇を見つけてはお店に立っています。

68歳とは思えないスピードで動き回ります。

いろいろと言葉をかけるのでお客様もびっくりすることもあるけれど、これが「矢場とん」のスタイル。

この女性が「矢場とん」の女将、鈴木純子さんです。

鈴木純子女将が嫁いだ「矢場とん」。

当初、みそ串かつで人気を博していましたが、次第にお客様が離れていました。

時代とともに新しいお店がどんどんできてきた。それに比べて「矢場とん」は何も変わらない。はやらなくなるとお金が入らないので、肉も「いいの?このお肉」というものを仕入れてきて、私もそれを見るようになって「ダメだな」って。やっぱり店ってはやらないといけないんだって。

そんな苦境の中、鈴木純子女将は大衆食堂に過ぎなかったお店をメニューから経営そのものまで徹底的に改革。

20年以上掛けて「矢場とん」とみそかつの名店へと変貌させました。

2001年には名古屋駅に2号店を開業します。

その後も次々に店舗を増やし今や全国に20店舗。
総来客数は年間237万人となっています。

みそかつを名古屋めしの代表的存在まで育て上げました。

「矢場とん」を一変させた妻を鈴木孝之会長は

今もそうだけど怪物ですよ、あの人は・・・怪物。ことごとく僕と意見が合わなくても結果は全部、女将がやることは成功している。

お嫁さんが違ったら、こうなってなかった?

いつか潰れてたんじゃないのかな。

いい嫁をもらった?

金星でしょうね。

鈴木純子女将

とんかつ自体も変えました?

いろいろ変えました。もちろんお肉もおいしいものを使ったし、パン粉も油も全部変えた。

サラリーマン家庭から「食堂」に嫁ぐとは?

私はサラリーマン家庭で育って、外食にすごく憧れを持っていた。家庭よりももっときれいな所で、もっとおいしいものを出して食べるというのが外食だと思っていた。実際に嫁いでみてイメージとは違っていた。

鈴木純子女将の矢場とん改革

鈴木純子女将が名古屋の有名店と聞いて嫁いだ「矢場とん」。

しかし、そこは鈴木純子女将のイメージとはかけ離れた男性客ばかりのお店。

メニューは何でもありの雑多な大衆食堂でした。

そんなお店で働き出した鈴木純子女将は色んな事が不満でした。

皿はプラスチック、漬物は小皿を使わずにご飯の横にのせられていました。

しかし、それについて何か言おうにも義理の母である大女将が君臨していました。

夢を描き嫁いできた鈴木純子女将。

私がいるこの矢場とんが「このままでいいの?」って、本当に変えたいという思いはあった。

鈴木純子女将はまず最初にのれんを変えました。
粗末だったのれんを真っ赤で巨大なものに一新します。

お店のイメージチャンジを図りました。

そして次にお店で使う食器。

これがプラスチックのお皿から最初に陶器に変えたお皿。瀬戸に行って一番安い陶器のお皿。

大女将に内緒でプラスチックの皿を陶器製に変えていきました。

本当に戦いだった。

さらに手を付けたのが店の屋台骨、看板商品だった串かつです、

その串刺し作業、今は機械化されていますが

昔は串かつ用に細かく切って1本ずつ刺していた。昔の串は先が割れちゃう。先が指に刺さる、どんどんケガをする、痛い思いをしながら。

鈴木純子女将は手間のかかる割に単価の安い串かつから、もっと採算性が高い看板商品に変える決断をします

それが比較的、簡単に調理でき値段も高い「みそとんかつ」です。

そのために鈴木純子女将はメニュー表の最も目立つところに「みそとんかつ」を配置し看板メニューとしてアピールします。

大人気だった串かつは最も目立たない後ろに配置しました。

串かつばかり売れたら困るから。店のイメージ。「串かつを売っている飯屋」ではなく「とんかつ屋」になりたかった。

鈴木純子女将は20年以上掛けのれんからメニュー、食材の仕入れ、会計システムまでありとあらゆる、それまでのやり方を変え、男性客しか来なかった大衆食堂を誰もが来たい一流のお店へと変貌させました。

鈴木純子女将

鈴木純子女将が改革した項目

  • のれん
  • 看板メニュー
  • ご飯
  • 豚肉
  • パン粉
  • キャベツ
  • POSシステム
  • 取引銀行
  • 税理士

最初にのれんを変えた理由?

やはり「のれん」は絶対的にお店の顔として大事でしょうと、それで長くした。店があまりきれいではなかったので店を隠すため。

店を改装するお金はなかったが、「のれん」を立派に長くするお金くらいはあったので、まず「のれん」で店の雰囲気を変えたいと思った。

プラスチックのお皿が嫌だった?

嫌でした。数をたくさんこなさなきゃいけないとなるとプラスチック製食器は便利だけど、定食屋の「お金を頂く店」としてはプラスチック製は嫌。

義母は「陶器の食器なんて使えない」「重いでしょ割れるでしょ」「そんなに気を遣って仕事なんてやってられない。」

200枚の皿をどうやって陶器製に?

20枚ずつとかコソッと出す。「あっ陶器が入っている」「どうしてこんなお皿が入っているの?」という感じ。

結局、私がやっていると義母が分かって「どうしてあなたはそういうことをするの?」って

陶器製に変えるのにどのくらい掛かった?

どれくらい掛かったか、3年とか5年とか。

改革の原点は「サラリーマン家庭」に?

まさしくそうだと思う。私も若い時があって夢を見た時もあったので「私が嫁ぐ店はこんな店だったらいいな」といつも夢見ていた。

矢場とんグループ総会

この日行われていたのは全社員の集会です。

毎年、売上など優秀な成績を収めた社員には鈴木純子女将からプレゼントが贈られます。

彼氏じゃなくてごめんね。素敵なあなたに似合うネックレスです。ダイヤの。

女性にダイヤが贈られたと思うと男性社員には

念願の欲しかったんだよね。

年間最優秀賞にはロレックスの高級腕時計が贈られました。

この豪華なプレゼントは全て鈴木純子女将のセレクションです。

一流の社員に育って欲しい、その思いから贈るものも一流品。

私が選んでいる。かわいいでしょ。ハートは若い時しかつけられないので、よく似合うと思う。

「矢場とん」はそんな社員思いの会社です。

超家族的経営術

社員と我が子のように向き合うのが鈴木純子女将流。

暇さえあれば気になる社員のお店に行きます。

鈴木純子女将が「てっちゃん」と呼ぶ入社15年目の早川哲生チーフシェフ。

以前はかなりのヤンチャ者だったといいます。

車の大きな事故もやったね、道路の植木に突っ込んで。

この日、仕事が終わった2人は早川哲生チーフシェフの家に向かいます。

社員が家を建てたと聞けば訪ねることもあるといいます。

早川哲生チーフシェフは将来、父親の経営する喫茶店を継ぐ約束で「矢場とん」で働いています。

父親は

女将と会うたびに「お父さん、てっちゃんをちゃんとして返しますからね」と、いつも会うたびに言ってくれる。矢場とんで良かったなと思う。

早川哲生チーフシェフも

僕のことを信牌してくれているのをすごく感じて、他の飲食店に勤めていたら続いていなかったと思うし、いろいろなお店を転々としているんじゃないかと思う。

そんな家族のような経営で「矢場とん」の入社3年後の離職率はわずか9%(中途採用含む)。
飲食業界では50%以上ですから異例の低さです。

「家族」「ファミリー」という感じがする。

入社4年目の笠井衛シェフも「矢場とんファミリー」を満喫する一人です。

体力的には最初はきつかったが、みんなで支えあって、僕は本当にいい環境でやらせてもらっている。

社会人野球

笠井衛シェフを始め、「矢場とん」の社員が熱狂しているのが社会人野球。

野球連盟にも承認される正式なものです。

社会人野球から撤退する企業も多い中、野球をやりたい若手のために2015年に社会人硬式野球部「矢場とんブースターズ」を創立しました。

指導するのは元中日ドラゴンズの片貝義明部長・コーチです。

初めはびっくりした「何でチームを立ち上げるの?」と思った。

メンバーの笠井衛シェフは大学野球で活躍した経歴を持っています。

まさかユニフォームを着て野球をやれると思っていなかったので、自分の活力になっている。

「矢場とん」が会社を上げて応援する野球部。
どうして作ったのか?

社員を子供としたならば、この子たちがやりたい野球を少しでも長く続けさせてやりたい。それで会社が元気になるなら、いい顔をしてる、野球をやっている時。

まさに母親の眼差しで社員を見つめる鈴木純子女将。

この経営方法はかつての悩みから生まれました。

それは職場の規律が乱れ遅刻や無断欠勤がまかり通っていた時代。

現場の社員にどうやってやる気をもって働いてもらうか、鈴木純子女将は考え続け社員との親密な関係づくりに力を入れ始めました。

武藤悟さん

「矢場とん」の移動販売車が出動すれば先頭に立って売りまくる社員、武藤悟さん。

しかし、かつてはかなりの問題社員だったといいます

「ワル」かどうかは分からないがお金がなくなれば盗ればいいと

札付きのワルだった武藤悟さんはある日「矢場とん」を飛び出し独立します。そして失敗。

しかし、鈴木純子女将は武藤悟さんに声を掛け、再び「矢場とん」の社員として雇用しました。

社員に誘っていただきました。「すごくうれしかった」というのが本音。一番感じたのは「家族」。女将さんといたい、会長といたい、仕事だけじゃなくて本当に感謝している。

日報

鈴木純子女将を中心とした家族のような関係。

閉店後の店内にも「矢場とん」がそんな関係を保ち続ける秘密がありました。

野球で活躍する笠井衛シェフ、パソコンで仕事の悩みを書いていました。

「矢場とん」の日報は個人的な思いを中心に書くといいます。

極力、自分の悪いことを書くようにしている。他の店舗の人に「こういう日報書いてたけど、どうなの?」と何かしら書けば、誰かが見てくれている。日報が社員をつないでくれている。

一人一人の社員の悩みを全社員が共有し、みんなで家族のように支え合う。
それが「矢場とん」の力を生んできました。

そして鈴木純子女将とその家族の幹部たちも日報と向き合います。

全社員の親密な繋がりが「矢場とん」を支えています。

鈴木純子女将

矢場とんの従業員は全員「元不良」?

それはない。ただやはり弱い。エリートではなくて。私はやっぱり「母親」なんです。お母さんってやっぱり子供が気になって仕方ない。「ちゃんとやっているかな、大丈夫かな」という気持ちで関わっていく。

てっちゃんの場合は両親が飲食店をやっていた。おじいちゃん、おばあちゃんに育てられている。だからちょっと甘ったれのところがあった。両親に代わっててっちゃんを「預かった以上は一人前にします」という気持ち。

社員に安易な結婚をすすめない?

仕事に専念して「ホレタ、ハレタ」とかの恋愛ではなくて仕事に一生懸命、専念してほしい時期がある。

いい男になってから、いい女になれば、追っかけるんじゃなくて「追っかけられるような男」になってほしい。

辞めた社員を再び受け入れるのは?

他の仕事を見てこなければ分からない。その人が「事例」になる、他の社員たちの。恥ずかしがらないで「また帰ってきました」とみんなの前で堂々と言える?他の社員への勉強にもなるので、それをやれたなら、あなたの功績になる。

カンボジアに学校を作ろう!

カンボジアの首都プノンペンから郊外に向かう車に鈴木純子女将の姿がありました。

もう8年になる。20回くらい来た。

そこまで足繁く通うのは貧しい田舎町。

鈴木純子女将を出迎えたのは大勢の子供たちです。

矢場とんのTシャツを着てくれている。

これにはワケがあります。

「矢場とん」はカンボジアの田舎に暮らす子供たちのために、今まで幾つもの小学校を作ってきました。

10年前、鈴木純子女将が旅行でカンボジアを訪れた際、現地の貧しさを知り始めた事業です。

学校の建設資金は変わったやり方で捻出しています。

それが従業員が日々食べる「まかない飯」です。

矢場とんで毎食出る無料のまかない飯ですが、食べ終わると全員のスタッフが募金を始めました。

本来、お金を払って食べるご飯を頂いているので、感謝の気持ちをカンボジアの貧しい子供たちにあげようと。

この募金やお客様からの募金がカンボジアの学校の建設資金となっています。

1校の建設費は約500万円で、すでに4校を開校しています。

毎年、「矢場とん」の社員は研修のためにカンボジアを訪れ、子供たちと様々な交流を行っています。

自分たちの日々の募金が形になっていることを知り、社員も成長する。

現場に行って学校の建物を見ると、これに携わっていたんだとすごく実感できる。

社員100人がやっていくことで1つの大きい学校ができる。みんなでやったという達成感がある。

2016年1月に出来た4校目の学校は高校です。

「矢場とん」の小学校とか中学校に通っていた人はいますか?

子供たちが成長とともに学び続けられるようにと高校の建設に踏み切りました。

鈴木純子女将の強い意志から始まった「矢場とん」の変貌。

今、その思いは世界に広がっていました。

鈴木純子女将

なぜ「会社の寄付」ではなく「社員の募金」?

会社で学校をつくったり私財を出すのは簡単だが、すっと前から飲食店の経営者は「あげる人」、従業員は「もらう人」という図式が嫌だった。こんな豊かな日本に生まれて「まだ、あなたたちは欲しいの?」って、「もっと貧しい国の人たちがいる」。それを感じてほしい。だから会社だけじゃなくて、社員を巻き込んでやりたいと思った。まず「もらいたい人」から「あげられる人」。欲しいと思う人間ではなくて、あげられる人になってもらいたいのが基本。会社も儲かったからやるのではなくて、こういうことをしてあげたいから、やれる会社でありたいから、しっかりと儲けてもらいたいと、いつも社員に言っている。

「直接的な利益」ではなく「結果としての利益」

本当に社員はいい子になった。そのおかげで、みんな本当に弱い子のことを思えるような人間になったし、野球部をつくることで店が活性化して野球部の子たちがたくさん入ることで元気な会社になった。数字的にではなく、結果は本当に良かったという気持ち。

編集後記

まるで朝ドラの主役のような人だった。「矢場とん」は、世界中に拠点を持つ巨大メーカーではないし、何百という店舗展開をする外食チェーンでもない。だが「女将」が実行したのは、あらゆる企業の参考となり得る、普遍的で、かつ画期的な改革だった。ボトルネックを発見し、今できることを考え、プランを練り、行動に移しながら、次のポイントを決め、少しずつ、持続的に変化を実現していく。鈴木純子女将による「矢場とん」再生は当たり前のことを実際にやり抜くことが、いかに重要でむずかしいかの証である。

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