[ガイアの夜明け] 追跡!マネーの「魔力」!(1)

追跡!マネーの「魔力」!

許永中氏

11月下旬、韓国・ソウル。

来た。

私達は長い交渉を経て一人の人物に接触することができました。

許永中(きょえいちゅう)氏(70歳)。

これまで一切マスコミとの接触を避けてきた日本経済の表と裏を知る人物です。

東京から来たの?

日本の政界や財界、そして裏社会と強いパイプを持ちフィクサーと呼ばれていました。

バブル時代には1日で数十億円もの金を動かしていたといいます。

「テレビに放送されることは初めて?」

初めてですよ。テレビにも出たくないし、マスコミにも出たくなかった。言えることは言いますから率直に聞いてください。

イトマン事件

1990年、バブル経済が絶頂から崩壊へと転がり落ち始めた頃、事件は起きました。

3,000億円近いカネが地下経済に消え去った戦後最大級の経済事件。

舞台は大阪。

狙われたのは中堅商社のイトマン。

不正な絵画取り引きやゴルフ場開発などを通じて約3,000億円もの金が闇へと消えました。

そしてその行方は未だに分かっていません。

事件のカギを握る人物の1人が許永中氏。

大阪で数十社の企業を束ねる実業家でしたが、その実態は謎めいていました。

当時のイトマン社長、河村氏、彼はメインバンクの住友銀行から送り込まれていました。

住銀の磯田会長から絵画の取り引きを持ち掛けられた河村社長が伊藤常務に相談、伊藤氏は許永中氏を呼び寄せ取り引きが始まります。

実際の取り引きで使われた絵画。許永中氏は自ら絵画を仕入れ市場価格の数倍の値でイトマンと取引。

わずか半年で500億円以上の金を引き出したといいます。

1991年7月、許永中氏ら3人はイトマンから不正に金を出させた特別背任の罪で逮捕。

しかし、事件はここで終わりませんでした。

6億円の保釈金を積んで保釈された許永中氏は1997年10月に渡航先の韓国で失踪。裁判も停止してしまいます。

2年後の1999年11月、潜伏先の東京のホテルで身柄を拘束。

その後、裁判は再開し許永中氏は懲役7年6ヶ月、罰金5億円が確定しました。

バブルの時代

事件から27年、テレビカメラの前で初めて口を開きます。

「バブルの時代とは何だったのか?何億、何十億、何百億というお金を動かしてきた。それはどんな実感?」

慢心したんでしょうね。傲岸とは思っていませんけど。おカネを儲けるために、カネさえ儲かればいいとか、これだけカネを儲けようと目標を立てたことをしたことがない。

これはやらないかん。とにかく「この仕事・テーマはやらなあかん」と思ってやれば、おカネは勝手についてきた。

私=イトマン事件とセットになっている。新聞には「戦後最大の経済事件」だとか「3,000億~4,000億が闇に消えた」とか、おどろおどろしい。

さも私がイトマンという会社を何千億円というカネを隙に乗じて、私がイトマンを食い物にしたと。

私がイトマンからおカネを借りた約410億円、そのおカネを借りて担保に入れている絵画が偽物は一つもなかった。

おカネを借りて何が悪いねん。「借りてくれ」と言われたから借りた。

許永中氏は絵画の取引は「売買」ではなく絵画を担保にした融資であったと主張。

しかし判決では実質的な売買であり、巨額の利益を得たと認定されました。

住友銀行

イトマン事件のもう一方の当事者が住友銀行です。

当時のイトマンは住友銀行の商社部門として機能し、「住銀の別働部隊」と呼ばれていました。

そのイトマンは不動産開発などでも失敗し、1兆円を超える負債を抱えるようになっていました。

その多くを住友銀行が融資で支えていたのです。

銀行内部にいた人物が調査した極秘メモ。イトマンを巡る金と人の動きが記されています。

気をつけろ、許永中に情報が筒抜けだ。

「許永中」が何度も出てきます。

書いたのは住友銀行元取締役の國重惇史さん。

銀行内部で不正な融資が繰り返されている。と内部告発した人物です。

「許永中氏とは何者だったのか?」

正直分からない。

イトマンの河村さんはこうだと決めて、「彼(許氏)はいいやつだ、だから貸すように」と。いくらでも貸してもいいんだと。300億円、500億円、600億円と金額が膨らんだ。

許永中氏だけが悪いのではなく、イトマンと住友銀行があっての事件。

バブル時代に乱脈融資にのめり込んだ大銀行。借り手を問わないその姿勢が戦後最大の経済事件を作ったのです。

許永中氏

「あの時代に戻りたいと思うか?」

当時、私43歳、イトマン事件というのがね。43歳で私は今でも止まっている、頭の中が止まっている。

あの時代は私にとって、つい1週間、1ヶ月前の時代。

私の中では43歳の事件で、平成3年で、私の体内時計は止まっている。

「それがバブルの時代の熱、熱狂?」

そう言われてみればそうかも分かりませんね。

許永中氏の幼少時代から

大阪市北区。

狭い路地に長屋が並ぶ中津地区。許永中氏の生まれ故郷です。

許永中氏は1947年に在国韓国人の一世の三男として生まれました。8人兄弟で家は貧しく、母はどぶろくを密造して金を稼ぎ、子供たちを学校に通わせたといいます。

しかし彼は街に出ては喧嘩に明け暮れる毎日でした。

19歳で家を出て、私が21歳の時かな、恐喝しました。相手はとんでもない悪い人でした。

26歳の頃、あるトラブルから知人を救うために大阪の暴力団の組長のもとに1人で乗り込みます。この時、組長相手に物怖じせず5,000万円もの解決金を引き出したといわれています。

そこで快感を覚えたというか、テクニックを覚えた。とにかくストレートで本人にぶつかる。相手が大きい人や年寄りでもその場面では対等で一対一だと。「あんたしか的かけないよ」と。「こんなに悪い子ことしていいんですか?」と。

あの時代の5,000万円なので今なら5億円、10億円にはなる。

私のバブルはそれかも分からんね、始まりは。

とんでもないことをとんでもない相手にやってきたと名前が売れてくる。だんだんそれが信用になる。

その後、金銭のトラブルが起きれば間に入って次々に解決したという許永中氏。

いつしか裏社会だけでなく様々な業種の企業も彼を頼るようになっていくのです。

政財界

1989年に大阪で設立された在日韓国青年商工会の案内文。その顧問を務めたのが42歳当時の許永中氏。

式典には当時の大物政治家たちがこぞって祝辞を寄せていました。

すでに政界とも強いパイプがあったことを伺わせます。

政財界のフィクサーとなった許永中氏。時はバブル絶頂期、扱う金の額も増えていきました。

毎日、私の運転手に金庫を預かっている人間が200万円を持たす。全くみんな消えるが毎日、財布に200万円入れる。自分で財布を持たないから。おカネに困っているとか全くなかった。

何でもできると思っていたし、何でもできた。それもバブルといったらバブルかも分かりませんね。自覚できていなかっただけです。

「これバブルやんか」と頭にぽっと湧いたんだけど。

日本を離れ、韓国で暮らす許永中氏。

今は何をしているのか?

高麗大学

翌日、待ち合わせたのは名門高麗大学。

許永中氏は大学と組んだ医療ベンチャーの会長をしています。

患者が寝返り打つと小便がたまるところを吸い上げてくれます。

高齢者向けの排泄補助器。独自の技術で寝返りを打ってもセンサーが察知し排泄物を漏れることなく吸い上げてくれるといいます。

介護を受ける人にも自尊心がある。泌尿器科のドクターが切実に考えて開発した。

許永中氏はこの医療ベンチャーに自ら出資し、事業を支えていました。

「意外な面が・・・。」

私も高齢者だから他人事じゃない。

マネーの魔力

最後に許永中氏に聞いてみたいことがありました。

「マネーの魔力とは?」

カネに負けている人が多いからね。

カネさえあれば極端な話、この世にできないことはないくらいカネの力は大きい。大部分の人が目の前にボンと、カネをどんと詰めば返事を変えたり、できないことをしようとする。99%そう、今までの体験上ね。

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