横浜のロングセラーといえば崎陽軒のシウマイです。
90年近い歴史の中にはアイデア溢れる販売方法や売上ダウン覚悟の決断がありました。
株式会社崎陽軒
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SLが移動手段の主役だった1928年。横浜を代表する食べ物が誕生しました。
株式会社崎陽軒のシウマイです。
昔、駅でお弁当売り、電車が止まると。
ソウルフードとまでは言わないけど横浜といえば崎陽軒です。
ちなみに株式会社崎陽軒が商標登録した「シウマイ」の文字には「ウマイ」の意味が込められています。
発売から89年の昔ながらのシウマイ。ロングセラーの極意とは?
シウマイ
シウマイが作られているのは横浜工場。
シウマイの原料は豚肉、干し貝柱、玉ねぎ、グリーンピースといたってシンプル。調味料も塩、砂糖、胡椒だけ。
練って合わせたものを小麦粉の皮で包んで蒸し上げます。
1日に80万個のシウマイが作られます。
株式会社崎陽軒の初代社長、野並茂吉氏は横浜駅の売店で働いているときに「名物のなかった横浜に新たな名物を作りたい」と考えました。
そこで目を付けたのが横浜中華街で売られていて当時、日本ではまだ珍しかったシューマイでした。
早速、中国人シェフをスカウトし日本人の味覚に合う冷めても美味しいシューマイを1928年に開発・販売しました。
当時から現代まで作り方はほとんど変えていません。
味以外にこだわったのは大きさです。
普通サイズのシューマイだと揺れる列車内では食べづらい。一方、小さいと一口で食べられる。発売当初から変わっていない工夫です。
シウマイ娘
宣伝にも工夫をしました。
1950年、華やかな制服を着た「シウマイ娘」が登場。
販売と広告塔を兼ねた、いわゆる「キャンペーンガール」のはしりでした。
窓越しにシウマイを売る姿に見惚れた男性客から「シウマイ買うならシウマイ娘から」などと言われるほどになりました。
そして鉄道の主役がSLから電車に変わっていった1954年。駅弁の代表格「シウマイ弁当」が登場。瞬く間にヒット商品となりました。
しかし1965年、横浜駅での売り上げが初めての前年比割れ。
一体、何が起こったのか?
株式会社崎陽軒の3代目、野並直文社長によると、
結果的にわかったのが新幹線の開通だった。
新幹線では、これまでの窓越しの販売ができない上、乗車時間が短くなったことで車内で食事をとるお客様が減りました。
真空パック
株式会社崎陽軒が抱えた大きな課題に、
これは困った。駅頼みの売り方を変えなければ。
起死回生の一品として開発されたのが1967年発売の「真空パックシウマイ」でした。
実は「真空パック」という言葉は株式会社崎陽軒が考えたものです。
賞味期限が伸びたことで全国の小売店で売ることができるようになり目論見通り売り上げは回復しました。
ところが今度は常連客から「どこにでも売っていては土産にならない」と怒られる始末。
シウマイの魅力は「横浜名物」。横浜に行かないと買えない。限定したものにしていこう。
3代目の野並直文社長は原点に戻り、地元横浜に根差す「ローカルブランド」を宣言。全国の小売店での販売をやめました。
その直後は一時、売上は落ちましたが現在では5期連続で過去最高の売り上げ記録を更新する見通しです。
そんな株式会社崎陽軒のロングセラーの極意とは?
ロングセラーの極意
徹底した差別化を図る。人まねせず、独自でお客様が望むものをつくる。