[ガイアの夜明け] 後悔しない「供養」(3)

後悔しない「供養」

東郷俊宏さん

神奈川県鎌倉市、閑静な住宅街の一軒家。

東郷俊宏さん(51歳)、独身です。

おなか空いた?ご飯食べる?

生まれた時から耳が聞こえづらい東郷さん。

自らも障害がありながら、6年間、母の禎子さん(83歳)の介護を続けてきました。

東郷さんは東洋医学の大学教授。

半年前、介護に専念するため大学を退職しました。

しかし、2日前、かかりつけの医師から禎子さんの余命が1週間と宣告されたのです。

母の最期の時は素の顔で、今まで母が生きてきたことを「頑張ったね」と言いたい。

斎場でよそ行きの顔をしなければいけないのは寂しかったので。

東郷さん、自宅から母を送り出したいと考えていました。

株式会社鎌倉自宅葬儀社

6年間、母の禎子さんの介護を続ける東郷さん。

別れのときが近づいていました。

この日、ある男性を招きました。真夏なのに黒いベスト姿。

お食事はどうなさいますか?

家なので何か作っていただいたり、よくある寿司や天ぷらではなく。

母が僕達に作ってくれた料理でハヤシライスを作って。

この人は自宅での葬式を手助けする鎌倉自宅葬儀社の馬場翔一郎さん(34歳)。

東郷さんが母のために前もって相談をお願いしたのです。

好きなお花は?

クチナシの香りが好きでしたから。

母、禎子さんのことを事細かく聞いていく馬場さん。

弔うとか偲ぶことを中心に考えたものが一つの葬儀になるので。

こうして、それぞれの家族にあった葬式の形を探ります。

東郷さん親子のための手作りの葬式とは?

「原爆ドーム」というキーワードで何かできないか。

馬場翔一郎さん

それぞれの家族にあった手作りの葬式を作る馬場さん。

東郷さんが6年間、介護をする母親の葬式を引き受けました。

鎌倉駅前に馬場さんの事務所はあります。

1年前に一人で鎌倉自宅葬儀社を起業しました。

請け負った手作り葬は約30件。

問い合わせも増えています。

ただ単に通過儀礼としての葬式ではなくて、葬儀を一つの思い出にしてもらいたい。

埼玉県飯能市、この日は4年前に亡くなった祖父の墓参りです。

以前は埼玉で葬儀社を経営していた馬場さん、祖父の葬式も取り仕切りました。

幼いころに両親が離婚したため、父親代わりの大切な人でしたが、

斎場での葬儀を仕切っていたから、お客さんとかお寺に気を遣っていたので十分におじいちゃんを弔えなくて。

「後悔したくない」という自分の原点があるから、やっているのかもしれない。

東郷禎子さん

7月19日、東郷さんの相談から3日後のことです。

馬場さんが駆け付けました。

医者が8時半に死亡診断書を書いてくださいました。

母、禎子さんが息を引き取ったのです。

ありがとう。

通夜は3日後、明日から準備が始まります。

翌、7月20日。

ここにお飾りするということで。

禎子さんが好きだった和室に祭壇を設けることにしました。

棺の搬入口と6畳ほどの部屋があれば自宅で葬式をあげられるといいます。

東郷さん、片付けの合間にこんなものを見せてくれました。

原爆で亡くなった母の弟の写真です。

広島生まれの禎子さん。幼い頃に原爆に遭い両親と弟、家族すべてを失いました。

ひとりぼっちの寂しい気持ちを抱えたまま逝くのでは、あまりにも悲しいと思って。

だから最後には母に幸せな気持ちになってもらいたい。

東郷さんから思いを託されました。

キーワード

事務所に戻った馬場さん、早速動き出します。

クチナシの花は鉢植えだったり置いていますか?季節的に難しいですかね。

クチナシの季節は終わったばかり。

鎌倉中の花屋に電話をしますが見つかりません。

その夜、自宅に戻った馬場さん、まだ調べることが・・・。

「広島」をキーワードに何かできないか。

8月6日に広島で行われる「灯篭流し」。そして死者を弔う「原爆死没者慰霊碑」。これが後で大きなヒントに。

思い出

7月21日、通夜の前日、向かったのは葉山にあるお店でした。

花が咲いている。

季節外れのクチナシをなんとか見つけ出したのです。

その頃、東郷さんは、通夜に出すハヤシライスを作っていました。

母から作り方を聞き、介護中に食べさせていた思い出の料理。

「母に食べてもらったハヤシライスはこんなものなんです」と皆さんと分かち合いたい。まだ全然ダメです。

母を失って2日、東郷さんの時間は止まったままです。

朝は「おはよう」と言うし、出かける時は「出かけてくるね」。返事がなくても声を掛けたら何か感じてくれるんじゃないか。

お通夜

7月22日、通夜当日。

馬場さん自ら祭壇や棺を家の中へ運び入れます。

ここで東郷さんに提案します。

原爆で家族を失った禎子さんを弔うアイデアです。

「広島」で考えていることがあって、「灯篭流し」ってあるじゃないですか、これをモチーフにした飾り付けをさせていただきたい。

急遽手配したのは燭台。

ここにキャンドルが載るんです。

慰霊碑のドームみたいになるんですね。とてもそんなことまで考えつきませんでした。

これを通夜のメインに据えます。

目指すは「寂しくない葬式」。

お好きなように飾っていただいて。

馬場さんのアイデアで原爆で亡くなった禎子さんの家族の社員も添えることに。

これで準備が整いました。

いよいよ通夜が始まります。

東郷家のための手作り葬。参列者にどう響くのか?

寂しくない葬式

手作りの葬式を手掛ける馬場さん。

東郷家の自宅での葬式が始まります。

東郷さんの望みで神道の儀式を行いました。

通夜には禎子さんの介護に携わったヘルパーさんたちが次々とやって来ました。

これ、母の見合い写真。

片付けの最中に出てきたものです。

「不幸の始まりだった」って言ってね「破棄してくれ」って。

「結婚生活は忍耐だ」っておっしゃっていました。

東郷さんにゆっくりと禎子さんを偲んでもらうため馬場さんは裏方に徹します。

思い出のハヤシライス。

東郷さん、おいしいです。

母を亡くしてから初めての笑顔。

東郷さん、カラオケ誘うから行きましょうね。

山本リンダを歌わせてください。

そして、あの燭台の点灯式です。

灯火を焚いて禎子さんとその家族の魂を送ります。

最後のお別れ。

告別式

7月23日、告別式も自宅で行います。

馬場さん、あの季節外れのクチナシをここで東郷さんに託します。

準備を含めて5日間を掛けた東郷家の手作り葬。

通夜と告別式を合わせて85万円。

馬場さんの仕事はここで終わります。

手作り葬から2ヶ月、東郷さんの時間が再び動き始めました。

日常

9月中旬、鎌倉。

東郷さんが母を見送ってから2ヶ月が経ちました。

お家で見送ることができて、ヘルパーさんや看護師さんもみんな来てくれて、母との別れを惜しんでくれたのは僕にとっても心の救いになりました。きっと母も喜んでくれるだろうな。

そして東郷さんは再び日常に戻りました。

母の介護で離れていた学者としての活動を再開したのです。

お会いできて光栄です。

止まっていた時間が再び動き出しました。

鎌倉自宅葬儀社の馬場翔一郎さんは、

間違いなく自宅葬をしたい人、故人を自宅に帰したい人はいるので、その人たちに知ってもらって自宅葬が当たり前になるようにしたい。